函館ストーリー「5月の陽は萌ゆる~ピリカ・ウヌカル~」

 

この物語は、函館ストーリーSpring Love!」の続編ともいうべき物語として構成されたものだが、実際には函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」のスピンオフ作品となります。

 

函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」とは…

二学期が始まるころ、函館の高校に野本直美という転校生がやって来る。

そこで尾崎先生という男性教師と出会った野本直美は、冬の訪れとともにふるさと岩手へと戻ってしまう。

運命的な出会いとなった尾崎先生と野本直美は、しばらくは手紙のやり取りをしていたが、新しい人生のスタートとなった野本直美が、再び函館へとやって来る。

というような物語でした。

 

そして、尾崎先生のもとへ野本直美が現れて…

物語は、「Spring Love!」の世界へと入っていきます。

 

【雪のうつろ~5月の陽】

野本君、元気でいるだろうか?

一年後の冬のはじまりに、また元町公園で出会えた感動は、今でも忘れられない。

「尾崎先生!」と元気な声で僕の胸に飛び込んで来た時は、夢だと思ったよ。

でも、夢でも良いと思った…

この元町公園に居て、野本君の夢を見られるなら、毎日でも僕はここに通うだろう!

一時的であれ、野本君にまた函館で出会えた事が嬉しい。

そして春になったら、函館に来て暮らすのだと言っていたね…

小さな再開と短い別れとなるのだろうと、心待ちにしながら時はすでに5月を迎えた。

野本君、僕は一つ決めたことがあるのだよ。

今度こそ僕は、「野本君」とは呼ばずに「直美ちゃん」と呼ぶことにしよう。

 

直美ちゃん、この手紙が届く頃には、君はもう函館に向かっているのだろうか?

それとも、この手紙を受け取るのだろうか?

僕の心に眠る雪のうつろの記憶、そして直美ちゃんと過ごした特別な時間…

元町公園なら、探していた“あの頃”がきっと見つかる、僕はそう信じているよ。

 

5月の陽とともに、尾崎。

 

【春はあけぼの~Spring Love~】

「尾崎先生~!」

「お帰り、直美ちゃん」

「昨日、函館に帰って来ました。真っ先に、尾崎先生に会いに行きたいのをグッと我慢して、市電に乗り石川啄木の足跡をめぐってみました。久しぶりの函館に自分自身を慣れさせるためにも、先生がお手紙に書いてあるように、市電に乗って小さな旅をしました。途中、一人の男子大学生に声を掛けられて、同じように石川啄木の足跡をめぐっている事を知り、そこからは一緒に行動して…」

「そうか、『一握の砂』は役に立ったかい?」

「ハイ!わたしは、啄木と同じく4ヶ月を函館で過ごしたのですね」

「直美ちゃん、もうずっと、これからは函館にいるんだろう?」

「もちろんです尾崎先生!きらめく街並みとほのかな潮の香りと心地よい風。歴史と文化を持つ函館を、わたしは啄木のように語り継ぎたいと思います」

「直美ちゃんは、函館の素晴らしさを発信していくのだね!僕も協力するよ」

「ありがとうございます!そうだ尾崎先生、今度わたしが会った大学生の方とその彼女さんと会ってくれませんか?わたしたち石川啄木について、どうしても分からないところがあって…」

「分かった、直美ちゃんがそう言うなら、僕もぜひ会ってみたいね」

野本直美から、啄木の話を聞いた尾崎先生は、啄木と直美ちゃんを重ねて、なにか不思議な縁を感じたのだった。

 

【野本直美から、奏太朗への手紙】

奏太朗さん、こんにちは。

石川啄木の足跡めぐりの時は、お世話になりました。

おかげさまで素敵な旅となり、啄木が函館を愛した理由を知り、その啄木の想いを自分自身に重ね合わせ、わたしもますます函館が好きになりました。

 

翌日、わたしは恩師である尾崎先生と元町公園で会い、この啄木の足跡めぐりの話をしました。

「砂山の砂に腹ばひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」

わたしは、奏太朗さんに啄木の歌では一番好き!と言いましたが、実は尾崎先生がわたしに教えてくれたものです。

わたしが函館を離れ、ふるさとに帰っていた時に、尾崎先生が市電に乗り啄木めぐりをしていると、お手紙に書いてありました。

その時に、書かれていたのが、この歌だったのです。

 

すみません、自分のことばかりで。

ところで…

彼女さん、冬果ちゃんはテストも終わり元気でいらっしゃいますか?

たしか、宮沢賢治がお好きで石川啄木は苦手だと、お聞きしましたが。

奏太朗さんのおかげで、啄木も好きになられたでしょうね。

 

そうそう、尾崎先生は岩手の花巻出身で宮沢賢治と同じです。

わたしは、岩手の遠野の出身なんです。

宮沢賢治のことや遠野物語とか、わたしより尾崎先生が詳しいので、今度みなさんでお会いしませんか?

わたしも、冬果ちゃんにぜひお会いしたいです。

 

突然、こんなお手紙が届いて驚かれたでしょう?

ちょっとした、魔法です()

わたし、LINEやメールより、お手紙が好きなんです!

お手紙って、ぬくもりがあると思いませんか?

だから、わたしは大切なことはお手紙で書くのです。

 

奏太朗さん、冬果ちゃんに宜しくお伝えください。

お会いできる日を楽しみにしています。

 

野本直美

 

5月のひだまりのサンタクロース】

野本直美さんから手紙が届いたのは、ガンガン寺の浅葱色のキューポラが輝く5月の昼だった。

 

立待岬から津軽海峡越しに春の訪れを教えてくれる季節に、僕は野本直美さんと市電で出会った。

宝来町の電停から市電に乗ると、石川啄木の『一握の砂』を熱心に読んでいる女性がいた。その人こそ、野本直美さんだったのだ。

僕が声を掛け、啄木小公園から大森海岸、そして宿泊先の湯元啄木亭まで僕らは一緒だった。

僕が冬果と市電で出会ったように、僕と野本直美さんとの出会いは、きっと運命的なのだろう。

 

僕が野本直美さんと出会った時、冬果はちょうどテスト期間で、最初は浮気だと怒っていたが、不思議な魅力のある野本直美さんに次第に魅了されて…

「野本直美さんって岩手の人でしょう?まるで、座敷童子が大人になったみたいな人だよ、だから今回のテストは上手くいったんだ!」と喜んでいた。

冬果に野本直美さんからの手紙を見せると…

「素敵な女性だから、早く会いたい」と声を弾ませ、「ねぇ~いつ会えるの?」と、毎日うるさく聞いてくる。

 

僕は、野本直美さんに連絡を取り、月末の土曜日に4人で会う約束をした。

さっそく冬果にその事を伝えたら喜んでいたが、僕は野本直美さんとまた会える事がとても嬉しかった。

冬果は、「野本直美さんが座敷童子なら、尾崎先生はサンタクロースみたいな人なんだよ!凄いよ奏ちゃん、お盆とクリスマスが一緒に来たようだね、わ~いわ~い」とハシャイでいた。

尾崎先生がサンタクロース?

まったく、冬果らしいや。

 

【函館時間~きらめく言葉の結晶~】

野本直美さんから指定されたお店は、大三坂を挟んでカトリック元町教会向かいにある、元町茶寮というお店だった。

格子越しの窓から石畳が見え、ガンガン寺やカトリック教会の鐘の音が聞こえる静かで落ち着いた店内は、まるで時間が止まったような雰囲気だった。

僕らは、お店のオススメの野点珈琲をいただいた。

これは、エスプレッソを茶せんで泡立てて、お抹茶の器で飲むコーヒーで、苦味がまろやかになり四季折々のきれいな和菓子が付いていた。

冬果はコーヒーが飲めないというので、パフェセットを頼んだ。

そして、僕が冬果を紹介し、野本直美さんが尾崎先生を紹介してくれた。

 

「尾崎先生、わたしと奏太朗さんの疑問は、石川啄木はたった4ヶ月という期間の中で函館の街や人々を愛し、《死ぬ時は函館で!》という言葉を残したのですが、なぜ啄木はふるさとの岩手ではなく、函館を選んだのでしょうか?その想いをわたしも理解できたら、もっと函館を好きになるし人をもっと愛せると思うのです」

「直美ちゃん、啄木はふるさとである岩手を忘れたり嫌いになったわけではないのだよ。小中学時代を、岩手県渋民村で過ごした石川啄木にとって渋民村は、生涯の心のふるさとだった。《かにかくに  渋民村は恋しかり  おもひでの山  おもひでの川》と詠んでいる。啄木は、渋民村から見える岩手山を《ふるさとの山》と呼んでいたからね」

 

「なるほどー、尾崎先生!啄木にとって函館時代は、青春そのものだったのでしょうか?」

「奏太朗君、《こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな》と啄木は詠んでいる。この歌には、文学で大成しようとする仲間同士、酒を酌み交わし語り合ったことがうかがえるね。やがて、妻・節子と娘・京子を呼び寄せ、その一か月後に母と妹を函館に迎えている。そうだね、啄木にとってはこの青柳町での暮らしが生涯で一番幸せだったのだろう」

 

冬果は、野本直美さんを魅力的に感じながらも、どーしてもミステリアスな雰囲気があるといい、さらに尾崎先生を前にして緊張しているのか、いつもの明るさが出ないでモジモジしている。

僕は、こんな冬果を見るのは初めてで、そういえば挨拶だけでまだ一言も喋っていない。

そんな冬果を気にかけて、野本直美さんが声をかけてくれた。

「冬果ちゃんが、今なにか興味があることって、どんなことかしら?」

顔を真っ赤にしながら、冬果は野本直美さんにというより、尾崎先生に向かって答えた。

「あの…、中学時代の友達が、青田っていう女の子なんですけど、世界遺産に登録された、北海道・北東北の縄文遺跡群に興味を持っていて、尾崎先生は北海道や北東北の縄文について、どう思いますか?」

と、切り出してきた。

僕と野本直美さんも、この縄文文化について興味があり、僕らは尾崎先生の言葉に耳を傾けた。

【5月の鼓動~まほろばの夢~】

火山を祀る荒吐(あらばき)信仰のおおもとは、東北で、その古い部族は阿蘇部(あそべ)と呼ばれていた。

アソベはアイヌ語の「火(アベ)」に通じ、その名の通り阿蘇部(あそべ)の人々は、火山を崇め、温泉を好み、山すそに寄り添うように暮らしていたんだ。

その阿蘇部(あそべ)族が住み処とした青森県の津軽で、岩木山がある日突然、噴火した。

部落は一夜にして岩木山の大噴火に呑み込まれ、生き残った者はわずかだったという伝説が残っている。

阿蘇部(あそべ)とは、縄文晩期の火の民族で、中期に中部・関東で全盛をきわめた縄文火の民族の最後の姿だという。

縄文文化の最後を飾る遮光器土偶は、青森県の亀ヶ岡遺跡から集中して出土することで知られており、その亀ヶ岡遺跡の南方にあるのが岩木山なんだよ。

岩木山は、古くから「アソベの森」と呼ばれていた。

阿蘇部(あそべ)族は消えてしまったが、荒吐(あらばき)信仰は、のちに東北に興った「荒吐族(あらばきぞく)」に受け継がれ、それが蝦夷となった。

「アイヌ・モシリ」という言葉があり、「われらの国土」という意味なんだ。

阿蘇部(あそべ)の昔、見渡す大地の隅々までアイヌ・モシリであり、それはアイヌの国土だった。

アイヌの人々は、山を川を海を豊穣の母として、獣たちを神(カムイ)として親しんだが、それが全部、失われ奪い去られた。

アイヌ・モシリを守るために蝦夷は中央と戦ったのだよ。

 

「縄文晩期の民族は、火山に寄り添うように暮らしていた?つまり、縄文土器のあのデザインは火山を象徴しているのでしょうか?そして、縄文と北海道アイヌとの繋がり、とてもよく分かりました。わたしの友達もきっと満足してくれます」

冬果がようやく笑顔になった。

「縄文とアイヌとの繋がり、北東北にもアイヌ民族は住んでいたし、もっと遡ると私たちは古代火の民族の末裔という事になるね。津軽地方のねぶた・ねぷた祭りは、昔から火の祭りとも言われている。火の民族の象徴的な祭りであり、火山を神として崇めたその依代がねぶた・ねぷたなのかもしれないね」

 

【これからの未来予想図~それぞれの夢~】

「尾崎先生、とても勉強になりました。ありがとうございます!」

僕と冬果は、2人揃って頭を下げた。

「そうか、あの時の市電のカップルが君たちだったか?」

「えっ!?市電のカップル?」僕と冬果は尾崎先生の言葉に2人で顔を見合わせた…

「尾崎先生が、啄木めぐりをしている時に市電でおふたりに会った事があるそうなんです。ホント、2人は仲が良いのね」

野本直美さんにそう言われ、僕らは嬉しさを隠せなかった。

 

僕たちは、その後何度も4人で会った。

まるで尾崎先生のゼミを受けているような感じで、僕と冬果はモノ知りな尾崎先生にいろんな事を質問した。

野本直美さんは岩手県遠野の出身で、尾崎先生は花巻の出身だと知り、啄木を通して岩手県を好きになった僕と冬果は宮沢賢治や遠野物語にも興味を持ち、はじめて2人で行く旅行は岩手の花巻と遠野に決めた。

もちろん、冬果が大学生になってからの話だけど。

 

野本直美さんは、啄木のぶんまで、函館のステキなところを伝えていくことを使命だと感じると話していて、函館で観光の仕事につき、函館の魅力を発信したいと夢を語り、尾崎先生や僕と冬果も協力すると約束した。

 

冬果の古本屋さんでは、友達の青田さんも手伝って、アイヌや縄文のコーナーを作りなかなか盛況だったそうだ。

初日は僕も店を手伝い、ちょうど店に来てくれた尾崎先生や野本直美さんに、冬果は誇らしげに青田さんを紹介していた。

青田さんが文化祭でやった、北海道・北東北の縄文遺跡群の展示は、来場者の関心を引き付け現代風にアレンジされた縄文の衣装は、特に人気が高かったという。

そして、青田さんは桐山君という同級生を連れてきていて、冬果は「桐山君って、絶対にボーイフレンドだよね、同級生とか言ってるけど…」と僕に、耳打ちをした。

 

尾崎先生や野本直美さんは、今では僕らのことを「奏ちゃん」「冬果ちゃん」と呼んでくれる。

僕と冬果は野本直美さんのことを「直美さん」と呼ぶが、尾崎先生のことは僕らも直美さんも、相変わらず「尾崎先生」と呼んだ。

尾崎先生は「尾崎さんでもいいんだぞ」と言うが、「だってねぇ~!尾崎先生って中空土偶に似てるし」と冬果と直美さんは仲良く顔を合わせてクスクスと笑っている。

やがて僕ら4人は、年齢差を気にせず友達のような付き合いとなっていった。

 

【街の彩り~函館時間~】

朝もやの煙る夜明けから、海と空が溶け合う夜ふけまで…

函館の空気には驚くほどの多様な色があります。

一瞬もとどまることなく、刻々と移ろう街の灯り。

そんな光の色を確かめに、ようこそ浪漫函館へ!

 

「ブログの始まりはこんな感じかな?やっぱり尾崎先生に聞いてみよう!わ~もうこんな時間?奏ちゃんや冬果ちゃん、もう来てるかな?急がなくっちゃ。シスコライス、シスコライス、早く食べた~い!あっ尾崎先生、今どこですか?わたし少し遅れるかもしれないので、先にカリベビに行ってて下さい。奏ちゃんと冬果ちゃんが席を取ってくれていますから…」

 

END

 原作:クリオネ 監修:ぴいなつ アドバイザー:美蘭


今回の物語函館ストーリー「5月の陽は萌ゆる~ピリカ・ウヌカル~」はいかがでしたか?

タイトルの“ピリカ・ウヌカル”は、アイヌ語で、“素敵な出会い”という意味です。

実際には、そんなアイヌ語はなくて、ピリカ(素敵)ウヌカル(出会い)という単語を合わせました。

 

・元町茶寮

大三坂を登りきった場所にある甘味処。

抹茶碗でエスプレッソを泡立てた「野点珈琲」が人気。

周囲にある教会の鐘の音を聞きながらのティータイムが楽しめる


・中空土偶

函館の縄文文化を伝える博物館である函館市縄文文化交流センターに常設展示されている、北海道唯一の国宝・中空土偶。
高さ41.5センチ、幅20.1センチ、重さ1.745キロ。
内部が空洞になっている「中空土偶」としては国内最大級で、最も薄いところで厚さ数ミリという精巧な作りが特徴。


これまでの函館ストーリーとリンクする物語という展開にしたので、今回は誰が主人公とかないです()

各章のタイトルは、かつての作品のタイトルをもじっているので、それぞれの物語を後でご覧になっていただければ、さらに面白いと思います。

そして、この物語は公開後に、ぴいなつちゃんの鬼校正が入り、美蘭さんのアドバイスも入るので、その都度セリフの言葉尻が変わったり、新しい文章が挿入されたり、カットされたりと変化していきます。

どうか、初見でご覧になった方は、時間をおいて再びご覧いただきますと、その変化をお楽しみになれると思いますので、どうぞ何度でもお楽しみください。