宮澤賢治と北海道
宮澤賢治は生涯で3度、北海道を訪れている…
・初回は、17歳の時に修学旅行で!
・2度目は、花巻農学校教諭として生徒の就職凱旋に向かう途中で!
・3度目は、花巻農学校生の修学旅行の引率で!
訪問先は、それぞれ「小樽」「札幌」「苫小牧」だった。
今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。
先生は手に取るように向こうの景色だの見て来ることだの話した。
津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社
博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭。
ああ僕は数えただけで胸が踊る。
宮澤賢治(或る農学校の日誌)より
1924年(大正13)年5月20日。
宮澤賢治と教え子たち修学旅行の一行は、小樽から札幌に入り、2日間の限られた時間で
北海道大学植物園や中島公園、麦酒工場、北大などを見て回った。
宮澤賢治の約15年の創作活動において、1924年はそのピークだと言われている。
この年、修学旅行で訪れた北海道への旅が宮澤賢治に大きな影響をもたらしたのだろう。
賢治の北海道に対してもつイメージには、内地の歴史風土とはあきらかに違う新しい日本。
北海道への強い好奇心があったという。
そして、この年に出版されたのが「注文の多い料理店」である。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほった風をたべ
桃いろのうつくしい朝の日光をたのしむことができます。
またわたくしたちは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろにきものが、いちばんすばらしい
びろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。
宮沢賢治(注文の多い料理店)序
短さゆえに深く強く輝く北海道の夏…
宮澤賢治は、生地である岩手県・花巻とは違う北海道の自然に出会ったのだ!
その日の夕方…
宮澤賢治は希望者を率いて、電車で中島公園に出かけている。
車中からうかがう活気ある黄昏の札幌を、「ビューティフル サッポロの真価は夜に入りて更に発揮せられたり」と記している。
そして、にぎやかな夜の狸小路を楽しみながら旅館へ戻ったという。
宮澤賢治はこの旅で、北海道に渡り開墾に取り込み苦労した移民たちの人生に
「誰か涙なくしてこれを見るを得んや」と記している。
その後、岩手に戻った賢治は北海道開拓者の苦労から農民の理想モデルを模索し、北海道の特産品からヒントを得て、温泉地として花巻を発展させるためにも名産品の開発が必要だと、教え子たちに呼びかけている。
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおった
ほんとのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
宮沢賢治(注文の多い料理店)序
こんばんは。
返信削除拝読しました。
宮沢賢治さんの世界
クリオネ兄さんの
選んだ部分
いいですねぇ✨✨✨✨
素晴らしいです✨✨✨✨😃
これは、知らなかった!!
返信削除道産子として、とっても嬉しいなぁ^^
創作のピークと重なって
しかも、注文の多い料理店が?
わぁ〜なんかすごいねー
兄上の編集が、ほんと
お見事ですね、みらんさん^^
美蘭さん
返信削除僕は宮澤賢治に関しては、けっこう知っていると思い込んでいましたが
賢治が北海道を旅しているという資料を偶然に見つけて、今回の紹介と
なりました。
実際には、修学旅行の引率で訪れた時のことを賢治は詳細に日記として
書き残していて、それらの上手く編集して紹介できれば良いのですが…
興味がある人以外にはつまらないと思い、このようにまとめてみました。
賢治の作品で初めて出版された「注文の多い料理店」は、この北海道旅行
が元になっているのだと思います。
ぴいなつちゃん
返信削除賢治が北海道に旅行に行ったという事は、あまり知られていないと思う。
しかし、この札幌への修学旅行の引率は、賢治自身が日記として詳細に
残している。
それだけ賢治にとって、楽しく有意義な旅となったのだろう!
「注文の多い料理店」序文の《はたけや森の中で》の一文は、北海道開拓民の開墾した土地を意味しているのだと僕は思っている。
正直、「注文の多い料理店」は地元の花巻での理想というかイメージを膨らませた物語だと思っていたが、札幌で見た光景が元になったのではないかとと思う。
先に札幌で暮らしていた石川啄木は、札幌のアカシアの木が美しく素晴らしいと褒めているが、同じように賢治も札幌で見たアカシアの木が美しく好きだと言っている。
地元の花巻は昔から湯治場として人気があったそうだが、札幌での体験が賢治によって花巻を温泉観光地として栄えさせたのは言うまでもない!
実際にこの後に、3つほどの花巻の特産品を作り出している。
「注文の多い料理店」を皮切りに、賢治は次々と名作を書き上げていくのだが、その原点が札幌の旅だったというのが正直言って驚いた。
イーハトーヴは理想郷としての岩手県だと言うが、実は開拓後の北海道の未来像だったのではないか?と僕は個人的に感じる。
内地とは違う自然の豊かさ、外国の文化がひしめく函館、既に都市としての進化を遂げた札幌、港として栄える小樽や室蘭など…
賢治のファンタジーあふれる想像力や宇宙観などは、岩手の花巻だけでは到底叶わぬ事であり、北海道での体験や経験が賢治自身を変えたのだと思う。
最愛の妹・トシは既に亡くなっていたが、憔悴しきった賢治を再び蘇らせ、生きている喜びや作家としての思想や想像力を与えたのが、北海道の自然や開拓者達の苦労話でありアイヌ民族の生きた証ではないだろうか。