箱館ストーリー「文芸サロン・箱館クリオネ文筆堂物語」

~I am thinking of you at all times!~  Part2

今回は、箱館ストーリー「文芸サロン・箱館クリオネ文筆堂物語」~I am thinking of you at all times!~の続編となります!
とはいえ、これで完結とはならず、まだまだ続きがあります。
美蘭さんが「前編」「後編」と朗読ドラマとして作品を残してくれており、皆さんはそこからいろいろとイメージを膨らませている事でしょう。
しかし、原作となるこの物語ですが元はこういう構想の中にありました事をお伝えします。


箱館ストーリー「文芸サロン・箱館クリオネ文筆堂物語」
~I am thinking of you at all times!~  Part2

「柊二、野本直美さんのブログ、浪漫函館が終了するんだって!ショックだよ。せっかく私たちなりに、浪漫函館に関わりを持ってお仲間に入れたらと思ったのに…」

梨湖がそう言うとパソコンの前から離れてトイレに入ってしまった。

それは泣くときの梨湖のいつもの癖だった。

 

浪漫函館とは、ナビゲーターの野本直美さんがやっている、観光パンフレットに掲載されない小さな函館を紹介しているブログで、観光客だけでなく地元の人たちにも人気が高い。

僕と梨湖が函館のために自分たちで何かをやろうとして、目標が定まらず心が折れそうになった時に、梨湖が浪漫函館のブログを見つけたのだった。

そこには自分たちが目指している事や、函館を愛してやまない心がひしひしと伝わり、僕らは野本直美さんと一緒に仕事がしたい!と強く思うようになった。

 

梨湖がいつまでもトイレから出て来ないので、浪漫函館が終了する記事をよく読んでみると、これからは文芸サロン・箱館クリオネ文筆堂としてホームページを作り、その中の一つのカテゴリーの中でこれまで通りやっていくと書かれていた。

「やれやれ、梨湖が早とちりするのも分かる。僕だって浪漫函館のブログ終了のタイトルを見れば勘違いするよ。梨湖がショックを受けるのと同じく僕だって言葉を失ったもの…」

「柊二、どうしよう?もう文筆堂には行けないね」

ようやく梨湖がトイレから出て来た。

梨湖、ここを読んでみて!大丈夫だから」

僕の言葉に、目を真っ赤にした梨湖がパソコンを覗き込み、しばらく真剣に画面と向き合っていた…

 

「尾崎先生、こちらにどうぞ!今、コーヒーを淹れますから少しお待ち下さい」

夏妃がそう言うと自宅のリビングに案内し、そそくさとキッチンへと入っていき、「ヨシ!」と自分に気合を入れハワイコナの豆を挽き始めた。

尾崎はリビングを眺めると、そこには康平の作品や夏妃のイラストなどが飾られており、ここは康平と夏妃の家なんだと改めて思った。

《私が直美ちゃんの大事な話を聞いていいのだろうか?直美ちゃん本人からではない尾崎先生の口から語られるというのが緊張してしまう。尾崎先生が直美ちゃんに話をするのを抑えているという大事なお話って?どうしよう、そんな大事なお話を聞いて私は大丈夫だろうか?いつかは文筆堂のみんなに話をしなければならないと言われたけど…》

夏妃はコーヒーを淹れながら、康平が早く帰って来てくれればと思いながらも、尾崎と野本直美の想いを無にするわけにはいかない!私がしっかりしなければならないと固く誓っていた。

 

柊二、今すぐ文筆堂に行こうよ!そして野本直美さんに会って話をしよう。私たちも仲間にして下さい何でもやりますって、土下座してお願いしよう」

柊二は、こんなに慌てている梨湖を見たのは初めてだった。

自分より年下だけど、何事にも動じずしっかりとしていて、いつも注意をされるのは柊二の方だったからだ。

梨湖、落ち着いて。ほら、ここよく読んで!これから文筆堂の新しいホームページを作ると書いてある。だから僕らが文筆堂に行くのも野本直美さんに会うのも、ホームページが出来てからだ。それまでは待つしかないんだよ。きっと今行っても、また文筆堂には辿り着けないだろう。不思議なんだけど、あそこはそういう場所なんだと思う」

「分かった、それまでに私たちは自分たちがやったHAKODATEEatの結果をまとめて提示できるようにしよう。そして、これから私たちが何をしたいか?何が出来るのか?をよく考えて私たちの話を聞いてもらえるようにしよう。柊二、忙しくなるね」

モデル級の笑顔でそう言うと梨湖は歌を口ずさんでいる。

それはGLAYSOUL LOVEだった。

 

「尾崎先生、どうぞ熱いうちに…」

夏妃がおずおずと康平が作ったコーヒーカップを置いた。

「僕はコーヒーは詳しくないけど、落ち着いたとても良い香りだね。康平さんの好みかい?」

「ハワイコナです!康平さんは、これしか飲みません」

「そうかい?このカップも、ハワイコナに合わせて作られたのだろうな」

尾崎は、夏妃を想いながら康平がカップを作ったのだと分かっていた。

手にしっとりと馴染む感触が、夏妃を抱く康平の手のぬくもりに感じた。

 

夏妃はコーヒーを飲みながらチラチラと尾崎を見ていた。

いつ野本直美の話が始まるのか?

ハワイコナのやわらかな酸味も抑えた苦味も、今日はいつになく強く感じてならなかった。

「夏妃ちゃん、コーヒーのおかわりをもらえるかい?」

尾崎が真剣な目でそう言うのを見て、夏妃はいよいよ話が始まるのだと思った。

「どうぞ!」

夏妃がテーブルにコーヒーを置くと…

 

「夏妃ちゃん!これから話すことは、しばらくは夏妃ちゃんの胸にしまっておいてほしい。時が来たら、僕の口からみんなに話すから」

尾崎は、真っ直ぐに夏妃の目を見て、そう言った。

これほどまで尾崎の顔を怖いと思ったことはない!

夏妃は体が震えるのを必死で抑えた。

いつもニコニコとしている尾崎だが、これが本当の尾崎先生なんだと夏妃は胸が張り裂けそうな気持ちの中にいた。

 

「僕が初めて函館に来たのは、小学校の低学年の頃だった。父親の転勤でね、岩手の花巻からここ函館の西部地区に来て住んでいたんだよ。地元の子供達と直ぐに友だちになってね、廃墟となった洋館でよくかくれんぼをして遊んでいたんだ。ある日、僕がオニになった時に部屋の片隅で絵本を見つけて、かくれんぼの事など忘れて夢中になって読んでいたんだ。いつの間にか僕の傍らに小さな女の子が居て、一緒に絵本を眺めていたんだ…」

尾崎が思い出を噛みしめるように、目を細めて話しだした。

《尾崎先生は、そんな小さい頃から函館に住んでいたの?》

夏妃はそう思いながらも、尾崎が話し始めるのを黙って待っていた。

 

「僕が子供時代に函館に住んでいたのは、いま考えると4年ぐらいだったと思う。そして、僕は教師になり、再び函館にやって来たのだよ。小さい頃に一緒にかくれんぼをして遊んだ仲間は、もう一人も函館には居なかったし、かくれんぼをした洋館も無くなっていた。やがて二学期が始まり、僕は一人の女子生徒と出会った!野本直美という笑顔が愛くるしいとても元気な女の子だった…」

野本直美という名前が尾崎の口から出た瞬間、夏妃は一気に緊張してしまい、自分を落ち着かせようと慌ててコーヒーを口にしようとしたが、いつの間にかカップの中は空だった。

 

「最初の授業の時に、一学期は45人だったのにその日は46人になっていた。転校生である野本直美君は一学期の途中から転入していたし、僕は二学期から教壇に立ったからね。これは座敷童子が出たな!と思い、僕にとっては最初の授業だしそこで座敷童子の話をしたんだよ。函館の高校生は座敷童子のことなど知らなくてね、授業そっち抜けで大いに盛り上がり、おかげで僕と生徒のコミュニケーションも上手くいったよ…」

《座敷童子?そう言えば、冬果ちゃんが直美ねぇさんは座敷童子のような人だと言っていたわ…》

夏妃は、冬果たち若い子たちが野本直美をリスペクトしながらも不思議な魅力があると言っているのを思い出した。

 

「仕事の帰り、僕はいつも元町公園のベンチで夕日に染まる函館の景色を眺めるのが好きでね、その日もベンチで休んでいたらタッタッタッと元気な足音がして声を掛けられて振り替えると、そこに野本直美君が立っていたんだ。それから僕と野本直美君はいろんな話をするようになった。いつしか、私が座敷童子なんです!と野本直美君は言った。そして、誰も知らない山奥の小さな隠れ里という所から、人間の世界を勉強したくて函館の街にやって来たと教えてくれた。でも僕は、それは野本直美君の空想だと思っていた。ほら、子供の頃って遠い外国やおとぎ話に夢中になるじゃないか…」

夏妃は、ますます混乱し黙って尾崎の言葉を聞くしかなかった。

《どうか、この野本直美という女子生徒が直美ちゃんとは違う同姓同名の少女であってほしい!いや、きっとそうだ。だから尾崎先生は野本直美君と言っているのだ》

 

「もうすぐ秋も終わろうとする頃、野本直美君は冬の訪れを前に隠れ里へ帰るのだと話しだした。そして、もう函館には来ないと話し僕にさよならを言って基坂を下って行った。その夜に僕は野本直美君の夢を見た!夢の中で、僕は子供であり僕が生まれた村で、かくれんぼをしていた。そして遠い記憶が甦った!あの頃、確かに“ナオミ”という年下の女の子がいた。遊んでいるとき、気が付くと隣にはいつも“ナオミちゃん”がいた。しかし、その子がまだ小さい頃に、僕は父親の転勤で生まれ故郷の地を離れ函館に来たのだ。そして函館に来て地元の子供たちとかくれんぼをした時も、ナオミちゃんは僕と一緒にいたんだよ」

尾崎は、そう言うと真剣な眼差しで夏妃を見た。

夏妃は、まるで全身に電流が流れるような感覚になり瞬きすら出来ずに固まっていた。

 

「次の日、野本直美君は学校へ来なかった。そして2年A組のクラスの人数は45人になっていた。野本直美という女子生徒や、かつてクラスの人数が46人だった事、僕が語った座敷童子の話は、誰も覚えていなかったんだ。正直、僕は夢を見ていたんだろうとその時は思っていた。いや、そう思うしかなかった。それから二週間後に野本直美君から僕に手紙が届いた。手紙を読み終わるとちょうど初雪が降ってきてね。元町がセピア色に染まる中、その初雪の白さを今でもよく覚えているよ。その、はかない淡い雪が僕の悲しみや胸の痛みを静かに消してくれた。その時、僕はハッキリと直美ちゃんの声を聞いたんだ!」

そう言うと、尾崎は「フーッ」と大きな息を吐いた。

夏妃は溢れる涙が止まらず顔を上げることが出来ずにいたが、ようやく顔を上げて尾崎に向かって大きく頷いた。

 

「あれから何度か直美ちゃんから手紙を貰い、僕が返事を書いたのはちょうど1年後の直美ちゃんと出会った二学期の初めだった。どういう仕組みでお互いの手紙が届くのかは分からないけど、時空を超えて直美ちゃんと僕がシンクロしている!ということではないか?と直美ちゃんはそう思っていたよ。僕らの想いが不思議な現象を当たり前の事にしてしまったのかもしれないね。座敷童子であるナオミちゃんは人間と違い、歳をとらない。ナオミちゃんは、僕に逢うために無理に「野本直美」という高校生になったのだよ。それも、わずか1年間という条件付きでね…」

《ちょっと待って!直美ちゃんが1年間という条件付きで高校生になり、尾崎先生の前に現れた?では、文筆堂にいる直美ちゃんは誰なの?違う人なの?やっぱり直美ちゃんは座敷童子なの?聞けない、怖くて私には無理。そんな直美ちゃんを否定するなんてイヤ!私にはもう無理。助けて康平さん…》

夏妃が頭を振り、両耳を手で押さえるのを無視して、尾崎が話を続けた…

 

「夢は、死ないのだね!夏妃ちゃん。これは、僕に届いたナオミちゃんからの最後の手紙なんだ。どうか読んでほしい」

そう言うと、尾崎は夏妃に便箋を渡した…

 

尾崎先生、私がどうやって函館で尾崎先生に出会えたのか?

その事を、今日は語りたいと思います。

 

さらさらの雪が眩しかった、ある日の朝…

私は、生まれ変わりました。

 

私が居た世界は、隠れ里と呼ばれており、東北地方のとある山深い森の中に、ひっそりと街があり、そこは現実の世界とは決して交わることのない異世界でした。

しかし、時には現実の世界とパラレルな異世界である隠れ里の接触が起こる事があります。

おそらく時空の歪みのようなものでしょう、突然現れる私たちの姿を見た人は、私たちを座敷童子と呼びました。

 

ある日の事…

隠れ里にある雪野に花が咲き、動物たちがほうほうと呼び交わす声に、私はゆっくりと目覚めました。

寒さが厳しいはずなのに、陽の光が里の盆地の四方にみなぎりあふれ、梅も桜も満開となり、水が光る七つ沢に笛の音色が鳴り響いていました。

 

「時が、来たのだ!」

私は、急いで青笹の沼に行って巫女石に「サトちゃんに会いたい!」と祈りを捧げ、むらさきの霧がたなびく水面に身を沈め禊ぎをしました。

そこには、羽の生えたような大木があり、私が跨ると、どこからともなく鐘の音が鳴り響き、大木が勢いよく水をくぐりぬけ空に舞い上がったのです。

 

気がつくと私は、身も心も17歳の野本直美という女子高生になり、函館の元町公園に佇んでいました。

水車の時間がゆっくり回っている隠れ里から、尾崎先生の住む函館へ…

かつて私が、一緒に遊んでいたサトちゃんが移り住んだ海が近くにある街。

ここで私は1年間、野本直美という人間になり高校生という時間を過ごし、尾崎先生に恋をしたのです。

 

私たち、隠れ里に住む者たちは歳を取りません。

最初に初めて人間に接触した年齢のまま永遠に、隠れ里で生き続けるのです。

私が、初めて人間に接触したのが子供の頃であり、それが当時は私と同じ年齢の子供でした。

そして私の存在に最初に気が付いたのが、かくれんぼをして遊んでいた“サトちゃん”という男の子だったのです。

私はいつまでも小さい子供のままでしたが、“サトちゃん”は、やがて小学生から大人になり教師になりました。

 

そして私は、1年間という限られた時間の中で、人間として17歳の高校生になり、尾崎先生の目の前に再び現れました。

尾崎先生は、昔と同じく私に気が付いてくれました。

「どうやら座敷童子がいるようだな、一学期は45人だったのに今は46人になっている!」

その日から私たちは、学校の帰りに元町公園で、二人で話をするようになりましたね。

あの時、尾崎先生は子供の頃に私と出会っている事を覚えていないようでしたが、私はいつまでもサトちゃんの事を覚えていました。

その時、それが“恋”というものなのだと知ったのです。

 

そんな中、私は17歳の女子高生という年齢の意味や、またそういう大人になりかけの難しい年頃の、不安定な心というものを実感したのです。

それは、メタファーではない、私にとってリアルな体験でした。

私には、人間になれる時間は限られています。

私は、その時間が許す限り、勉強に恋に一生懸命だったのですよ、尾崎先生。

 

尾崎先生と別れてからも、「尾崎先生!」と呼べば、今にも「野本君!」と答えてくれるような気がしていました。

夜の静けさの中で、そっと目を閉じれば…

尾崎先生と元町公園で別れた、あの日のことを思い出します。

 

私が、函館から隠れ里に帰る前日の夕暮れ、尾崎先生の優しい声、尾崎先生のしぐさ、何度も何度も思い出しては心が温かくなります。

同じメロディーを繰り返すオルゴールのように、私の心を優しくしてくれます。

 

尾崎先生!私は隠れ里から、再び函館へやって来ました。

そして、再び冬の元町公園に佇んでいます。

私が、この心の中にあるモヤモヤとした気分を、函館山から海に向かって吹き下ろす風の中に解き放す事で、深い闇のような不安定な心の気分を心機一転させ、私は再生されるのです。

私が17歳の時に過ごした、この場所から私の新しい人生が始まるのです。

あの時と同じ場所から…。

 

もともと、私たちが一時的であれ人間になるのは、隠れ里のタブーでした。

禁忌を犯した私は、隠れ里では誰にも理解されずに、いつも一人ぼっち…。

これから、どうやって生きていくのか?

自分でも分からず、具体的なことも理解できませんでした。

私がやるべき事は、この隠れ里から逃避したり離れてしまうのではなく、さまざまな試練を経て、自分自身を再生する事。

私は、このまま不死の世界である隠れ里に留まるか、あるいは人間としての寿命を得て現実の世界に戻るか、その選択を迫られる事となりました。

 

私は、人間になることを選択したのです。

それには、どんな喪失にも耐えられるだけの、精神的な強さが必要であり、現実の世界で生きていくための力が必要でした。

私が現実の世界で人間として生きていくには、人間として成長しなければならない。

また、現実の世界という源泉と結びつくことは、自らの血を流さねばならない…。

 

私は、人間になるための、時を待つことになります。

そして、その時がやって来ました。

私は青笹の沼で、湖の中にある大木にまたがると、大木が勢いよく水をくぐりぬけ空に舞い上がり、気が付くと人間として生まれ変わった私は、函館の元町公園にいたのです。

私の心と体は、尾崎先生を求めていたのです。

 

私は、過去の呪縛を解放しました。

それは、これから人間として生きる為のイニシエーションでした。

豊かな恵みの食べ物の多様性や、微妙な感性を育てる幸せな環境がなければ、何も感じ取る事も受け入れる事も出来ない。

そして、人間の多様性とは可能性でもある。

自分の心と体で感じ取り判断して生きてこそ、私が人間になるという事であり、健やかな体と優しい心があれば、誰かを愛したくなるし愛する力が湧き出るはずなのです。

 

私が住んでいた隠れ里は、幾つもの峠がある山々で囲まれた盆地です。

この峠とは、人間界と隠れ里を隔てる境界線なのでしょう。

でも私には、“峠を越える”という事に、もっと大きな意味があるような気がします。

この峠とは、その人の人生を確かめる、過去と未来の節目なのではないでしょうか?

 

函館は、私に語りかけてくれます。

はるかな函館…

私の函館…

尾崎先生が住む函館…。

 

私は、これから尾崎先生と一緒に函館で生きていきます。

たとえどんな試練が待ち受けていようとも、私は大丈夫です。

尾崎先生には、決して迷惑はかけません!

だから、見守っていてください。

尾崎先生!

約束ですよ。


この手紙が尾崎先生の元に届く頃に、私は再び尾崎先生と会えることでしょう。 

ナオミから…

そして、野本直美。

 

「この手紙が届いた日に、僕は市電の中でナオミちゃんからの手紙を読んでいた。その時に奏ちゃんと冬果ちゃんと出会った!まだ2人が恋人同士になる前で、お互いに市電を降りる時に手紙を渡し合っていたよ。そして僕は元町公園に行き、再び手紙を読んでいると、直美ちゃんが僕の前に現れたのだよ。それも、ちょうど初雪が降った日にね…」

《全てが繋がっているのだ!尾崎先生と直美ちゃんだけではない、奏ちゃんや冬果ちゃんとの出会い、そして私たちも…》

夏妃は、その言葉を飲み込んだ。

いや、口に出すことが出来なかったのだ。

にわかには信じられないような話だが、尾崎先生が嘘を言うはずもなく直美ちゃんの手紙が真実を語っている。

 

「再び、ナオミちゃんが僕の前に現れるまで4年の歳月を要している。17歳の時から数えて21歳になり、再び野本直美として函館に戻って来たのだ。直美ちゃんはこれから、僕と同じ時を刻んでいくのだよ!直美ちゃんは僕と一緒に函館で生きていくのを選んだと言っているが、函館が直美ちゃんを呼び戻したのでないか?とも思えるんだ。そして、僕がこうして函館に留まっていたのも、直美ちゃんを待つためだったのかもしれないね?僕は、そう思うのだが…」

夏妃は、聞きたいことが山ほどあるが、何をどう質問すればいいのか分からなくなっていた。

尾崎先生と野本直美の、これほどまでに深い繋がりのある人生を目の当たりにし、自分が何を語るというのだ!

夏妃は深い感動の中におり、あふれる涙を拭くことも出来ずに、ただ黙って尾崎の顔を見つめていた。

 

「夏妃ちゃん、僕の話はここまでだ!このような話をしたら、文筆堂のみんなはどう思うだろう?栗生姉さんはともかく、麻琴ちゃんや、奏ちゃんと冬果ちゃん、亜弓ちゃんと卓也くん、みのりちゃんは受け入れてくれるだろうか?僕と直美ちゃんの心配はそこなんだ。もちろん、康平さんや亮介くんもなんだが…」

尾崎先生は、何を言っているの?最後まで黙っていようと思っていた夏妃だが、さすがに…

「尾崎先生、そんなわけありません!みんながどんなに直美ちゃんや尾崎先生を尊敬しているか分からないのですか?康平さんも亮介さんも、直美ちゃんに惹かれ尾崎先生がいるからこそ文筆堂に足を運んでいます。もちろん私も栗生姉にいさんもみんなと同じ想いです。尾崎先生は直美ちゃんを守る義務があります。そんな事を言わないで下さい…」

そう言うと、夏妃は泣き崩れてしまった。

 

「夏妃ちゃん、申し訳ない。でもね、夏妃ちゃんは今の話を聞いて正直にどう思った?夢想話ではない、本当の事なんだよ!それに、どう思い感じるかは人それぞれだ、みんなが素直に受け入れるとは限らないと思う。でも、それもまた直美ちゃんの人生なんだ!悲しんでいる暇はない。僕は、直美ちゃんを支えていかなければならないからね。だから、僕と直美ちゃんはこの事をみんなに話したら、2人で岩手に帰ろうかと思っている。ずっと函館に居て函館のために自分たちが出来ることをやり、文筆堂の仲間たちと一緒に仕事をするつもりだったが、故郷で遠く函館を想いながら暮らそうか?と、2人で話し合ったばかりなんだ」

 

夏妃は、大粒の涙を流しながらも顔を上げ、尾崎を見つめていた。

「嫌です!そんなの嫌です。直美ちゃんや尾崎先生が居ない文筆堂なんて、きっと栗生姉にいさんは文筆堂をやめてしまいます。せっかく若い子たちが直美ちゃんの意志を継ぐ決意をしたのに、その想いを踏みにじるのですか?最近、直美ちゃんが変わったのは知っています。積極的になり、若い子たちに注意もしてくれ、文筆堂のために一生懸命になっている。

本当に直美ちゃんの意志ですか?尾崎先生が岩手に帰ろう!そう言って直美ちゃんを説得したのではないですか?確かに、話の内容が強すぎて直美ちゃんの口から話せることではありません。でも、誰かがその事で不信感を口にしようとも、私と真琴ちゃんが直美ちゃんを全力で守ります。尾崎先生は黙って直美ちゃんに寄り添ってくれていいのです。今度は私たちが直美ちゃんを守ります!栗生姉にいさんや康平さんや亮介さんも同じです。尾崎先生、お願いですからそんな悲しい事を言わないで下さい。尾崎先生のお気持ちはよく分かるし理解できます。でも、2人で決めたなんて言わないで!私たちが居ます。頼りないけど私たちが全力で直美ちゃんを支えていきます。尾崎先生はこれまでよく直美ちゃんを支えて見守ってくれました。これからは直美ちゃんの手を離さずしっかりと握って上げて下さい。お願いします!尾崎先生、お願いします…」

最後は声にもならず、夏妃は床に泣き崩れてしまい、何度も何度も頭を下げていた。

尾崎は、そんな夏妃の姿にどうする事も出来ずにいた。

 

その頃、康平はリビングの入り口に居て、黙って2人の会話を聞いていた。

途中からだったが、尾崎の口から語られる野本直美の話は想像を超えたものであり、康平は生まれて初めて涙を流した。

泣き崩れる夏妃の元に駆け寄りたい気持ちをグッと抑え、静かに家を出た。

 

麻琴は仕事が遅くなり、いつまでも野本直美を付き合わせてしまった事を反省していた。

《どうしよう?どうすれば、直美ちゃんにお礼できるだろう?》

「直美ちゃん、遅くなったね。ごめんね、いろいろと付き合わせちゃって」

「麻琴ねぇさん、大丈夫ですよ!お仕事、上手くいきましたし。それに今日は尾崎先生も忙しいですから、私はこのままお家に帰ります」

「そうなの?う~ん、だったら私の家に来ない?一緒にご飯を食べようよ!亮介さんも一緒だけど、いいかな?」

「そんな、亮介にいさんに悪いです。ありがとうございます、麻琴ねぇさん。私はこのままブラブラと帰りますから…」

「ん~でもやっぱり、一緒に行こうよ!せっかくだし、文筆堂ではないからいろいろと話しが出来るでしょ?亮介さんなら大丈夫だから」

そう言われて、野本直美は尾崎と夏妃の顔が浮かんだ。

《尾崎の口から語られた話に夏妃はどう思ったのだろうか?今すぐ尾崎の元に行き、結果を知りたいのだが、でもこれは麻琴ねぇさんに話をするチャンスではないだろうか?亮介にいさんも居るなら、一緒に聞いてもらえればいい。尾崎先生に伝えて、自分の口から麻琴ねぇさんに話をしよう!尾崎先生にばかり頼ってはいけない。きっと今日が話をするチャンスなんだ》

そう決意した野本直美は、麻琴に向き合った。

「これから尾崎先生に電話します!それから麻琴ねぇさんのお家にお邪魔させていただきます」

しかし、麻琴は野本直美の顔を見て、思わず声を上げるところだった。

いつもの優しい表情は消え研ぎ澄まされた目はどこを見ているのだろうか?

私の方を見ているが、視線の先は明らかに別な何かに向いている。

《これが若い子たちの言う、直美ちゃんのミステリアスなところなのか?きっと、尾崎先生しか知らない野本直美という隠された面なのだろう。それを冬果ちゃんは感じ取っていたのだ。私や夏妃ねぇさんにはない鋭い感性が、冬果ちゃんにはあるのだろうな》

野本直美が尾崎先生に電話をしている間、少し離れた場所から麻琴はそんな事を思った。

 

「尾崎先生、取り乱してすみません。もう大丈夫です!そろそろ康平さんも帰って来ると思いますから…」

「夏妃ちゃん、こちらこそすまないね。夏妃ちゃんを傷つけるつもりはなかったんだが。申し訳ないことをした。もう遅いし、僕は帰るよ。そして、この事は夏妃ちゃんから康平さんに伝えてくれないか?もちろん後から、僕も話すけど。康平さんが心配しているだろうからね。それと、夏妃ちゃんに言われた事はそのまま直美ちゃんに伝えるよ。近い内に康平さん

と4人で話そう」

「分かりました。康平さんにはちゃんろ伝えます。どうかご心配なく…」

「夏妃ちゃん、ごめん!直美ちゃんから電話だ。直美ちゃん、仕事は終わったのかい?こっちも夏妃ちゃんと今、話が終わったところだ。えっ!麻琴ちゃんと?そうかい。うん、それがいいかもしれないね。お互いに、今日はそういう日なんだよ。そうか、亮介くんも一緒か?そうだね、直美ちゃんがいいなら僕は何も言うことはない。直美ちゃんの意志でやりたまえ。康平さんには、夏妃ちゃんから話してもらうことにした。そして、後で夏妃ちゃんと康平さんと一緒に4人で話そう。うん、分かった。僕は、このまま帰るから明日にでも聞かせてくれ。2人によろしくね」

 

尾崎の電話が終わるのを、夏妃は黙って待っていた。

ところどころ聞こえる内容から、直美ちゃんは麻琴ちゃんと亮介さんに話をするみたいだ。

栗生姉にいさんより、自分に一番に話をしてくれた尾崎先生には感謝しかない》

夏妃はそう心に想いを秘めて、尾崎に頷いた。

「夏妃ちゃん!直美ちゃんは、このまま麻琴ちゃんの家に行くそうだ。そして、亮介くんと麻琴ちゃんの2人に自分の口から話をすると言っていた。きっと、今日がそういう日なんだろうな?僕は明日にでも、栗生姉さんと話をするよ。こんな時間まですまない。僕はこれで帰るから、康平さんにはよろしく言っておいてほしい。夏妃ちゃん、今日はどうもありがとう!」

尾崎は、深々と頭を下げると静かに夏妃の家を出て行った。

 

「ただいま~!さぁ~入って入って。亮介さん、直美ちゃんを連れて来たよ」

「亮介にいさん今晩は!夜分遅くにお邪魔してすみません」

「直美ちゃん、久しぶり!いつぞやは、麻琴の誕生日をお祝いしてくれてありがとう。直美ちゃんがアイデアを出してくれたと、栗生姉さんから聞いたよ。いつも麻琴が迷惑をかけて申し訳ないな。それより、2人ともご飯は食べて来たのかい?」

「ご飯、まだなのー!亮介さん、お願いします」

「そうか、大したもの作れないけど、直美ちゃん良かったら食べてくれ!」

「そんな、亮介にいさんにお料理させるなんて、私が何か作りますから…」

野本直美が慌てている姿を見ながら、亮介はただならぬ気配を感じていた。

《いつもなら、麻琴は決して誰かを家に連れて来るような事はしない。あの夏妃だって一度も家に連れて来たことがないからだ。それに何かあれば直ぐに連絡を欠かさないが、今日は黙って直美ちゃんを連れて来た。何かあったのだろうか?麻琴は緊張を誤魔化そうとして僕に料理をするように頼んでいる》

 

「直美ちゃん、ここは文筆堂じゃないんだから、そんなに気を遣わないでくれ。直美ちゃんは誰よりも優しくて、みんなに気を遣ってくれているが、ここは僕と麻琴の家だ!もっとくだけていいんだよ。尾崎先生に言えない事でもあるのかい?何だったら、ご飯を食べ終わったら麻琴と話をすればいい。僕は、外にでも飲みに行くから…」

「いえ、亮介にいさんにも聞いてほしい事なんです。それに、私は尾崎先生に言えない事なんてありません。もし、尾崎先生に言えないような事があったら私は生きている資格がないですから。あっ、すみません。麻琴ねぇさん!亮介にいさん!それでは、ご飯を頂いてから私のお話を聞いて頂けますか?」

亮介は、いつもと違う野本直美の雰囲気に驚いていた。

いつも文筆堂に顔を出しているわけではないので、野本直美を知っているようで実は何も知らないのだと気付かされた。

麻琴に目をやると、緊張しているのがよく分かる。

ついさっきまで一緒に仕事をしていた野本直美を、麻琴は恐れているようにも感じられる。

 

「直美ちゃん、お腹が空いたね~!亮介さん、早くして。直美ちゃんは今日は泊まっていけばいいよ。そしたらゆっくり出来るし。そうだ、亮介さんのとっておきのワインを出そう!グラス、グラスと…」

亮介は、麻琴がわざとはしゃいでいるのが分かっていた。

そして、3人はゆっくり食事をしたが、誰も料理の味覚など感じず、ただ空腹を満たすためのものとなった。

 

食事の後片付けを終えて、リビングで顔を付き合わせて座ると、野本直美が口を開いた…

自分が17歳の時に函館に転校して来て尾崎と会い、そして冬に再び故郷に戻ったこと、そして、その後の自分自身の変化を事細かく話した。

野本直美が語る尾崎先生との深い絆、自分が禁忌を破ってまでも函館に来た意味。

座敷童子として生まれた自分が、今こうして人間になり過ごしている事への周りへの影響など…

それは、尾崎が夏妃に語ったとは別の視点、つまり野本直美としての考えやこの事で何かしら起こるのではないか?という不安など、全ての胸の内をさらけ出した。

 

麻琴と亮介は、黙って野本直美の言葉に耳を傾けていたが、あまりの衝撃的な内容に言葉を失い、どうしていいか分からず固まったままだった。

2人の感想はそれぞれの立場もあり、違っていて2人は目まぐるしく頭を働かせて、考えをまとめるように努めた。

 

麻琴は、先に尾崎が夏妃に語ったという事を知り、私が先でなくて良かったと思った。

側に亮介が居ることでホッとしており、もし私一人でこの話を聞いていたら最後まで話を聞くことは出来なかっただろうと思った。

そして、冬果たちがこの話を聞いたときの動揺が怖かった。

若い子たちは耐えられるだろうか?あんなにも直美ねぇさんと言って尊敬しているのに。

特に松原みのりは、いつも直美ちゃんを羨望の眼差しで見ている。

文筆堂はどうなるの?

麻琴はギュッと亮介の腕を掴んでいた。

 

亮介は、先に尾崎が夏妃へと話をしたと知り、今頃は康平もこの話を夏妃から聞かされているだろうと思った。

《近い内に、康平さんと会わないと…》

最初は、何で栗生姉より先に夏妃や麻琴なんだろう?と思っていたが、クリオネ文筆堂の店長である栗生姉に話す前に夏妃と麻琴に話しておき、後で尾崎の口から栗生姉に語るのだと野本直美が教えてくれた。

夏妃ちゃんと麻琴ちゃんに先にことの事を知ってもらい理解してほしいのだ。それに栗生姉さんならきっと分かってくれるはずだ」

そう尾崎は言ったそうだが、やはり人生経験豊富な尾崎先生と栗生姉さんには叶わないのだと思い知らされた。

 

野本直美は、黙ったままでいる麻琴と亮介に対して、別れを告げた…

「麻琴ねぇさん、亮介にいさん、尾崎先生は近い内に栗生姉にいさんと話をすると言っています。私も一緒にと言ったのですが、尾崎先生から僕に任せてほしいと言われました。

そして、最後に奏ちゃんと冬果ちゃん、亜弓ちゃんと卓也くん、みのりちゃんに話をするそうです。その時も、私には出席しないように言われました。栗生姉にいさんと一緒に話をするそうです。私は自分の事で逃げているようで嫌だと何度も尾崎先生に頼みましたが、クリオネ文筆堂を守るにはこうするしかないのだと強く説得されました。だから、私は尾崎先生がみんなに話をするまでに、最後の仕事としてクリオネ文筆堂のホームページを作り、みんなに引き継いでもらいたいと思っています。これが私が文筆堂でする最後の仕事です…」

急に野本直美の話を遮り、麻琴が口を挟んだ。

 

「ちょっと、直美ちゃん!それってどういう事?文筆堂でする最後の仕事って何よ?そんな事は誰も納得しないし認めない。栗生姉にいさんが許しても、私は絶対に許さない!私だけじゃない、夏妃ねぇさんだって、みんなだってきっと怒るよ。直美ちゃん何を言っているの?尾崎先生は、この事を許したの?」

「おい、麻琴!直美ちゃんを責めるな。きっと、尾崎先生とよく話し合って出した結論なんだろう?しかしね、直美ちゃん。僕も麻琴と同じ意見だ!康平さんも今頃は夏妃さんから話を聞いているだろう。僕は明日にでも康平さんと会って話をするつもりだ」

さっきまで放心状態のような麻琴と亮介だったが、2人がかりで野本直美を責めている事には気づいていない。

しかし、野本直美は沈着冷静だった…

 

「麻琴ねぇさん、亮介にいさん。これは尾崎先生とよく話し合った結果です。このまま黙って函館に留まることも考えました。でも、私は嘘をついたままみんなと一緒にいるのが怖かった。私が行った行為が、この世界である函館や大好きなみんなに悪い影響を与えるかもしれないと思うといたたまれなかった。現に文筆堂ではマヨイガのような現象が起きている。きっと私のせいだと思うのです。こんな風に目に見えた事が起こる以上、私が函館に居るわけにはいかない!一人、故郷である岩手に帰ると尾崎先生に相談しました。それに対して尾崎先生は私が岩手に帰るなら自分も一緒に帰ると言いだしました。直美ちゃんが僕の背中を追って函館に来てくれたのだから、今度は僕が直美ちゃん背中を追って岩手に行かなければならない。そうすることによって、何かの悪い原因も落ち着くだろう。そう尾崎先生は言ってくれました。それに今の私には一人でこの世界で生きていくことは出来ないと思います。尾崎先生と一緒に最後まで暮らせれば…」

大粒の涙を流した麻琴が、野本直美の頬を叩いた!

亮介が慌てて止めに入ったが、麻琴は暴れて手がつけられない。

野本直美は、黙って麻琴の繰り出す手や足に耐えていた。

 

「直美ちゃん、いつからそんな風になったの?そんな事を言う直美ちゃんは嫌い!尾崎先生も嫌い!岩手でもどこへでも帰ればいい。でもね、直美ちゃんも尾崎先生も忘れているよ。私たちの気持ちを!誰がこんな事で直美ちゃんを責めるの?誰がこんな事で直美ちゃんを悪く言うの?そんな奴は文筆堂の仲間じゃない!直美ちゃんは小さい頃から尾崎先生が好きだったんでしょ?だから、こうして尾崎先生を求めて函館にやって来たんでしょう?そんなに函館が嫌いなの?尾崎先生と一緒に石川啄木の意志をついで函館の未来のために頑張ると言ったのは何?あれは嘘だったの?その言葉に、みんなが感動してクリオネ文筆堂は、こうして大きくなり仲間が増えているんだよ!そんな事が分からない直美ちゃんじゃないでしょ?みんなが直美ちゃんや尾崎先生を頼っているんだよ、今度はみんなを頼ればいいじゃん。誰もイヤなんて言わない。むしろ喜んで協力するよ。そうでしょ介さん!むしろ怖いのは直美ちゃんと尾崎先生の、その気持ちと考えだよ。私たち仲間だよ、直美ちゃんには夏妃ねぇさんや私という姉がいて、栗生姉にいさんや康平にいさんや亮介さんという兄がいて、奏ちゃんや冬果ちゃん、亜弓ちゃんや卓也くん、みのりちゃんという弟や妹がいるんだよ!そして、何よりいつも寄り添い支えてくれる尾崎先生がいる。直美ちゃんは一人じゃない、こんなにもたくさんの人が見守っている。それが分からない直美ちゃんなんて大嫌い!」

麻琴がここまで一気に話すとわんわん泣き出し、寝室にこもってしまった。

見かねた亮介が、うなだれている野本直美に声をかける。

 

「直美ちゃん、僕は麻琴が言い過ぎたとは思わないな。直美ちゃんの気持ちもよく分かるし、尾崎先生の考えも理解しているつもりだ。でも、嘘をつきたくないと、直美ちゃんは言ったよね?直美ちゃんの本心はどうなんだい?みんなと別れて函館を去ってそれでいいのかい?尾崎先生は、直美ちゃんの本心を見抜いていて敢えて岩手に帰ろう!と言ったんじゃないかい?直美ちゃんにとって函館とは何だったのだろう?尾崎先生と一緒に居ればどこでも良かったわけじゃあないのだろう?尾崎先生を追って小さい頃に函館まで来て、再び女子高生になり函館に来たのだから、直美ちゃんの心は尾崎先生だけでなく函館を想っていたのだと、僕は思うな。それに、こうして無意識に函館に来るのは尾崎先生だけでなく、文筆堂の仲間との縁や繋がりがあったからじゃないのかい?そうだろ、直美ちゃん!尾崎先生や直美ちゃんは市電の中で、文筆堂の若い子たちと出会ったのだろう?これがただの偶然と言えるだろうか?直美ちゃんにとって、僕や康平さん、文筆堂の仲間たちとの縁は尾崎先生と同じように、直美ちゃんの人生において既に決められた事ではないのかい?直美ちゃんが新しい人生を歩き出した時に、僕らはいつか出会う運命だったのだろう。その事は直美ちゃん自身が本当は分かっているはずだ、だけど直美ちゃんの優しさやみんなを想う気持ちが、自分の生い立ちのせいで迷惑をかける!その強い怖れにどうすることも出来ない。だから自分が函館を去ろうとしている。尾崎先生は直美ちゃんの考えなどお見通しだから、あえて自分も函館を去ると言い出した。尾崎先生は函館へ骨を埋めると言っているそうじゃないかい?そんな尾崎先生は仕事を辞めて直美ちゃんと岩手へ帰る!尾崎先生なら本当にそうするだろう。その事は、直美ちゃんはいいのかい?尾崎先生の人生を、直美ちゃんは変えようとしているのだよ!文筆堂の仲間を想う直美ちゃんの気持ちは正しい事だよ。でも、尾崎先生はどうなる?直美ちゃんは、自分自身より大切な尾崎先生の事をないがしろにするつもりかい?そんな直美ちゃんなら、僕も麻琴と同じく嫌いになるよ」

亮介の言葉に尾崎の名前が出た瞬間、野本直美は大きく反応し泣き崩れていた。

《野本直美が語った話は、不思議とかそういうジャンルを超えている。尾崎先生が教えてくれたというアイヌと縄文文化とのシンクロ。そして函館という街だからこそ、野本直美の話は荒唐無稽とは思えない。尾崎と野本直美、この2人が居ない函館なんて…》

泣き続ける直美の姿を亮介は黙って見つめていた。


続く…

「END」


今回の物語は、いかがだったでしょうか?
A4ページ20枚以上の原稿となり、あまりにも長すぎるので、ここまでとしました。
柊二と梨湖が、またしても文筆堂にたどり着けないでいますが、その理由は本人たちの口から語られている通りです。
もちろん、ちゃんと時が来れば文筆堂に入れますので、しばしお待ち下さいw
とはいえ、この後の展開が難しくどのようにすればいいのか?
行き詰まり、これ以上は書けないので、ここまでとしました。
美蘭さんの朗読ドラマを聴かれた皆さんが想像した続きの物語はどうなのか?
気になるところですが、原作は当初の予定通りに進めていきます。

ここまでお付き合い下さりありがとうございました!
この物語が完結したところで、「文芸サロン・箱館クリオネ文筆堂物語」は、一旦終わりとなります。
その後は、「函館ストーリー」にてお楽しみ下さい。

それでは、また…