箱館ストーリー「文芸サロン・箱館クリオネ文筆堂物語」

~I am thinking of you at all times!~  Part2《改訂》
「尾崎先生、こちらにどうぞ!今、コーヒーを淹れますから少しお待ち下さい」

夏妃がそう言うと自宅のリビングに案内し、そそくさとキッチンへと入っていきハワイコナの豆を挽き始めた。

尾崎はリビングを眺めると、そこには康平の作品や夏妃のイラストなどが飾られていた。

夏妃はコーヒーを淹れながら、康平が早く帰って来てくれればと思いながらも、尾崎と野本直美の想いを無にするわけにはいかない!私がしっかりしなければならないと固く誓った。


「尾崎先生、どうぞ熱いうちに…」

夏妃がおずおずと康平が作ったコーヒーカップを置いた。

「僕はコーヒーは詳しくないけど、落ち着いたとても良い香りだね。康平さんの好みかい?このカップもいいね」

「ハワイコナです!康平さんは、これしか飲みません。カップは康平さんが作りました」

「そうかい…」

尾崎は、夏妃を想いながら康平がカップを作ったのだと思った。

手にしっとりと馴染む感触が、夏妃を抱く康平の手のぬくもりに感じたのだ。

 

夏妃は、コーヒーを飲みながらチラチラと尾崎を見ていた。

「夏妃ちゃん、コーヒーのおかわりをもらえるかい?」

尾崎が真剣な目でそう言うのを見て、夏妃はいよいよ話が始まるのだと思った。

夏妃がコーヒーカップを置くと… 

「夏妃ちゃん!これから話すことは、しばらくは夏妃ちゃんの胸にしまっておいてほしい。時が来たら、僕がみんなに話すから…」

尾崎は、真っ直ぐに夏妃の目を見て、そう言った。

これほどまで尾崎の顔を怖いと思ったことはない!

いつもニコニコとしている尾崎だが、これが本当の尾崎先生なんだと夏妃は胸が張り裂けそうな気持ちの中にいた。

 

「僕が初めて函館に来たのは、小学校の低学年の頃だった。父親の転勤でね、岩手の花巻からここ函館の西部地区に住んでいたんだよ。地元の子供達と直ぐに友だちになってね、廃墟となった洋館でよくかくれんぼをして遊んでいたんだ。ある日、僕がオニになった時に部屋の片隅で絵本を見つけてね、かくれんぼの事など忘れて夢中になって読んでいたんだ。いつの間にか僕の傍らに小さな女の子が居て、一緒に絵本を眺めていた…」

尾崎が思い出を噛みしめるように、目を細めていた。

《尾崎先生は、そんな小さい頃から函館に住んでいたのか?》

夏妃はそう思いながらも、尾崎が話し始めるのを黙って待っていた。

 

「僕が、子供時代に函館に住んでいたのは4年ぐらいだった。そして、教師になり再び函館にやって来たのだよ。小さい頃に一緒にかくれんぼをして遊んだ仲間は、もう誰も函館には居なかったし、かくれんぼをした洋館も無くなっていた。やがて二学期が始まり、僕は一人の女生徒と出会った!野本直美という笑顔が愛くるしい女の子だった…」

野本直美という名前が尾崎の口から出た瞬間、夏妃は一気に緊張してしまい、自分を落ち着かせようと慌ててコーヒーを口にしたが、いつの間にかカップの中は空だった。

 

「最初の授業の時に、一学期は45人だったのにその日は46人になっていた。転校生だった野本直美君は一学期の途中から転入していたし、僕は二学期から教壇に立ったからね。これは座敷童子が出たな!と思い、僕にとっては最初の授業だしそこで座敷童子の話をしたんだよ。函館の高校生は座敷童子のことを知らなくてね、授業そっち抜けで大いに盛り上がったよ…」

《座敷童子?そう言えば、冬果ちゃんが直美ねぇさんは座敷童子のような人だと言っていたわ…》

夏妃は、冬果たち若い子たちが野本直美をリスペクトしながらも不思議な魅力があると言っているのを思い出した。

 

「仕事の帰り、僕は元町公園のベンチで夕日に染まる函館の景色を眺めるのが好きでね、その日もベンチで休んでいたら元気な足音がして声を掛けられた。そこに野本直美君が立っていたんだ。それから僕と野本直美君はいろんな話をするようになった。いつしか、私が座敷童子なんです!と野本直美君は言った。そして、誰も知らない山奥の小さな隠れ里という所から、人間の世界を勉強したくて函館にやって来たと教えてくれた。でも僕は、それは野本直美君の空想だと思っていた。ほら、子供の頃って遠い外国やおとぎ話に夢中になるじゃないか…」

夏妃は、ますます混乱し黙って尾崎の言葉を聞くしかなかった。

《どうか、この野本直美という女生徒が直美ちゃんとは違う同姓同名の少女であってほしい!いや、きっとそうだ。だから尾崎先生は野本直美君と言っているのだ》

 

「秋が終わろうとする頃、野本直美君は冬の訪れを前に隠れ里へ帰るのだと話しだした。そして、もう函館には来ないと話し僕にさよならを言って基坂を下って行った。その夜、僕は野本直美君の夢を見た!夢の中で、僕らは子供であり僕が生まれた村で、かくれんぼをしていた。そして遠い記憶が甦った!あの頃、確かに“ナオミ”という年下の女の子がいた。遊んでいるとき、気が付くと隣にはいつも“ナオミちゃん”がいた。しかし、その子がまだ小さい頃に、僕は父親の転勤で生まれ故郷の地を離れ函館に来た。そして函館に来て地元の子供たちとかくれんぼをした時も、ナオミちゃんは僕と一緒にいたんだよ」

尾崎は、そう言うと真剣な眼差しで夏妃を見た。

夏妃は、まるで全身に電流が流れるような感覚になり瞬きすら出来ずに固まっていた。

 

「次の日、野本直美君は学校へ来なかった。そして2年A組のクラスの人数は45人になっていた。野本直美という女子生徒や、かつてクラスの人数が46人だった事、僕が語った座敷童子の話は、誰も覚えていなかったんだ。正直、僕は夢を見ていたんだろう?とその時は思った。いや、そう思うしかなかった。それから二週間後に野本直美君から僕に手紙が届いた。どういう仕組みで手紙が届くのか?それは時空を超えて直美ちゃんと僕がシンクロしている!ということではないか?僕らの想いが不思議な現象を当たり前の事にしてしまったのかもしれない。手紙を読み終わるとちょうど初雪が降ってきてね。元町がセピア色に染まる中、その初雪の白さを今でもよく覚えているよ。その時、僕はハッキリと直美ちゃんの声を聞いたんだ!」

そう言うと、尾崎は「フーッ」と大きな息を吐いた。

夏妃は溢れる涙が止まらず顔を上げることが出来ずにいたが、ようやく顔を上げて尾崎に向かって大きく頷いた。

 

「直美ちゃんからの手紙によると、座敷童子は人間と違い歳をとらない。ナオミちゃんは、僕に逢うために無理に「野本直美」という高校生になったそうだ。それも、わずか1年間という条件付きでね…」

《ちょっと待って!直美ちゃんが1年間という条件付きで高校生になり、尾崎先生の前に現れた?では、文筆堂にいる直美ちゃんは誰なの?違う人なの?やっぱり直美ちゃんは座敷童子なの?聞けない、怖くて私には無理。そんな直美ちゃんを否定するなんてイヤ!私にはもう無理。助けて康平さん…》

夏妃が頭を振り、両耳を手で押さえるのを無視して、尾崎が話を続けた…

 

「僕に届いたナオミちゃんからの最後の手紙によると、 生まれ変わったナオミちゃんは、身も心も17歳の野本直美という女子高生になり、函館の元町公園に佇んでいた。隠れ里に住む者たちは歳を取らない!最初に初めて人間に接触した年齢のまま永遠に、隠れ里で生き続ける。ナオミちゃんが初めて人間に接触したのが子供の頃で、それが僕だったのだよ。ナオミちゃんは、いつまでも小さい子供のままだったが、僕はやがて小学生から大人になり教師になった。そしてナオミちゃんは、1年間という限られた時間の中で、人間として17歳の高校生になり、僕の目の前に再び現れたんだ。 ナオミちゃんには、人間になれる時間は限られていた。やがてナオミちゃんは人間になることを願った。それには、どんな喪失にも耐えられるだけの精神的な強さが必要であり、現実の世界で生きていくための力が必要だった。ナオミちゃんが現実の世界で人間として生きていくには、人間として成長しなければならない。また、現実の世界という源泉と結びつくことは、自らの血を流さねばならない。ナオミちゃんは試練を乗り越え過去の呪縛を解放した…」


ここまで言うと、尾崎は野本直美から届いた手紙を夏妃に渡した。

…そして、その時がやって来ました。

私は青笹の沼で、湖の中にある大木にまたがると、大木が勢いよく水をくぐりぬけ空に舞い上がり、気が付くと人間として生まれ変わった私は、函館の元町公園にいたのです。

私の心と体は、尾崎先生を求めていたのです。 

私は、これから尾崎先生と一緒に函館で生きていきます。

たとえどんな試練が待ち受けていようとも、私は大丈夫です。

尾崎先生には、決して迷惑はかけません!

だから、見守っていてください。

尾崎先生!

約束ですよ。

ナオミから…

そして、野本直美。

 

「この手紙が届いた日に、僕は市電の中でナオミちゃんからの手紙を読んでいた。その時に奏ちゃんと冬果ちゃんと出会った!まだ2人が恋人同士になる前で、お互いに市電を降りる時に手紙を渡し合っていたよ。そして僕は元町公園に行き、再び手紙を読んでいると、直美ちゃんが僕の前に現れたのだよ。それも、ちょうど初雪が降った日にね…」

《全てが繋がっているのだ!尾崎先生と直美ちゃんだけではない、奏ちゃんや冬果ちゃんとの出会い、そして私たちも…》

夏妃は、その言葉を飲み込んだ。

いや、口に出すことが出来なかったのだ。

にわかには信じられないような話だが、尾崎先生が嘘を言うはずもなく直美ちゃんの手紙が真実を語っている。

 

「再び、ナオミちゃんが僕の前に現れるまで4年の歳月を要している。17歳の時から数えて21歳になり、再び野本直美として函館に戻って来たのだ。直美ちゃんはこれから、僕と同じ時を刻んでいくのだよ!直美ちゃんは僕と一緒に函館で生きていくのを選んだと言っているが、函館が直美ちゃんを呼び戻したのでないか?とも思えるんだ。そして、僕がこうして函館に留まっていたのも、直美ちゃんを待つためだったのかもしれないね?僕は、そう思うのだが…」

夏妃は、聞きたいことが山ほどあるが、何をどう質問すればいいのか分からなくなっていた。

尾崎先生と野本直美の、これほどまでに深い繋がりのある人生を目の当たりにし、自分が何を語るというのだ!

夏妃は深い感動の中におり、あふれる涙を拭くことも出来ずに、ただ黙って尾崎の顔を見つめていた。

 

「夏妃ちゃん、僕の話はここまでだ!このような話をしたら、文筆堂のみんなはどう思うだろう?栗生姉さんはともかく、麻琴ちゃんや、奏ちゃんと冬果ちゃん、亜弓ちゃんと卓也くん、みのりちゃんは受け入れてくれるだろうか?僕と直美ちゃんの心配はそこなんだ。もちろん、康平さんや亮介くんもなんだが…」

尾崎先生は、何を言っているの?最後まで黙っていようと思っていた夏妃だが、さすがに…

「尾崎先生、そんなわけありません!みんながどんなに直美ちゃんや尾崎先生を尊敬しているか分からないのですか?康平さんも亮介さんも、直美ちゃんに惹かれ尾崎先生がいるからこそ文筆堂に足を運んでいます。もちろん私も栗生姉にいさんもみんなと同じ想いです。尾崎先生は直美ちゃんを守る義務があります。そんな事を言わないで下さい…」

そう言うと、夏妃は泣き崩れてしまった。

 

「夏妃ちゃん、申し訳ない。でもね、夏妃ちゃんは今の話を聞いて正直にどう思った?夢想話ではない、本当の事なんだよ!それに、どう思い感じるかは人それぞれだ、みんなが素直に受け入れるとは限らないと思う。でも、それもまた直美ちゃんの人生なんだ!悲しんでいる暇はない。僕は、直美ちゃんを支えていかなければならないからね。だから、僕と直美ちゃんはこの事をみんなに話したら、2人で岩手に帰ろうかと思っている。ずっと函館に居て函館のために自分たちが出来ることをやり、文筆堂の仲間たちと一緒に仕事をするつもりだったが、僕と直美ちゃんは故郷で遠く函館を想いながら暮らそうか?と、2人で話し合ったばかりなんだ」

 

夏妃は、大粒の涙を流しながらも顔を上げ、尾崎を見つめていた。

「嫌です!そんなの嫌です。直美ちゃんや尾崎先生が居ない文筆堂なんて、きっと栗生姉にいさんは文筆堂をやめてしまいます。せっかく若い子たちが直美ちゃんの意志を継ぐ決意をしたのに、その想いを踏みにじるのですか?最近、直美ちゃんが変わったのは知っています。積極的になり、若い子たちに注意もしてくれ、文筆堂のために一生懸命になっている。本当に直美ちゃんの意志ですか?尾崎先生がそう言って直美ちゃんを説得したのではないですか?確かに、話の内容が強すぎて直美ちゃんの口から話せることではありません!でも、誰かがその事で不信感を口にしようとも、私たちが直美ちゃんを全力で守ります。尾崎先生は黙って直美ちゃんに寄り添ってくれていいのです。今度は私と麻琴ちゃんが直美ちゃんを守ります!栗生姉にいさんだって、康平さんや亮介さんも同じです。尾崎先生、お願いですからそんな悲しい事を言わないで下さい。尾崎先生のお気持ちはよく分かるし理解できます。でも、2人で決めたなんて言わないで!私たちが居ます。頼りないけど私たちが全力で直美ちゃんを支えていきます。尾崎先生はこれまでよく直美ちゃんを支えて見守ってくれました。これからは直美ちゃんの手を離さずしっかりと握って上げて下さい。お願いします!尾崎先生、お願いします…」

最後は声にもならず、夏妃は床に泣き崩れてしまい、何度も何度も頭を下げていた。

尾崎は、そんな夏妃の姿にどうする事も出来ずに、黙って見ているしかなかった。

 

その頃、康平はリビングの入り口に居て、黙って2人の会話を聞いていた。

途中からだったが、尾崎の口から語られる野本直美の話は想像を超えたものであり、康平は生まれて初めて涙を流した。

泣き崩れる夏妃の元に、康平は駆け寄った。

 

「尾崎先生の考えは理解できる。でも直美ちゃんの本心はどうなんだろう?みんなと別れて函館を去ってそれでいいのだろうか?直美ちゃんにとって函館とは何だったのだろう?尾崎先生を追って小さい頃に函館まで来て、再び女子高生になり函館に来たのだから、直美ちゃんの心は尾崎先生だけでなく函館を想っていたのだと、僕は思う。それに、こうして無意識に函館に来るのは尾崎先生だけでなく、文筆堂の仲間との縁や繋がりがあったからじゃないのかな。直美ちゃんにとって、文筆堂の仲間たちとの縁は尾崎先生と同じように、直美ちゃんの人生において既に決められた事だと思います。直美ちゃんが新しい人生を歩き出した時に、僕らはいつか出会う運命だった。その事は直美ちゃん自身が分かっているはず、だけど直美ちゃんの優しさやみんなを想う気持ちが、自分の生い立ちのせいで迷惑をかける!その強い怖れにどうすることも出来ない。だから自分が函館を去ろうとしている。尾崎先生は直美ちゃんの考えなどお見通しだから、あえて自分も函館を去ると言い出した。文筆堂の仲間を想う直美ちゃんの気持ちはよく分かるよ。でも…」

康平の言葉に夏妃は大きく反応していた。

《尾崎が語った野本直美の話は、不思議とかそういうジャンルを超えていた。尾崎先生が話していたアイヌと縄文文化とのシンクロ。そして函館という街だからこそ、野本直美の話は荒唐無稽とは思えない。尾崎と野本直美、この2人が居ない函館なんて…》

夏妃は泣き続けながら尾崎を黙って見つめていた。


「夏妃ちゃん、康平さん。とにかく話を聞いてくれて、どうもありがとう!2人の直美ちゃんを想う気持ちはよく分かったし感謝している。この事は、折を見て文筆堂のみんなに聞いてもらうよ。僕からではなく直美ちゃん自身に語ってもらおう!それがいい。この事で、みんながどう反応するかは分からないが、それが大事だと思う。今日はどうもありがとう!」

そう言うと、尾崎は立ち上がり長い間深々と頭を下げて、夏妃と康平の家を出たのだった。


「END」


こちらの物語は、先に公開した物語の改訂版となります。

いろいろと削除したりして、短く編集いたしました。
美蘭さんの朗読ドラマを聴かれた皆さんが想像したような続きの物語となったでしょうか?

原作は、前作の通りに進めていきます。
それでは、また…