その昔、この地方を糠部郡(ぬかのぶぐん)と呼んでいた頃…

三戸南部の居城である三戸を中心に領内を9つの地区に分け、南を一戸・二戸、西を四戸五戸、北を六戸・七戸、東を八戸・九戸と、区別した。

南部藩の資料によると地名のおこりは平安末期までさかのぼり、鎌倉時代に南部氏が糠部に入部し、六人の子息をそれぞれ、一戸、三戸、四戸、七戸、八戸、九戸に配置し支配させたとある。

この「戸」は、「○○地区」や「○○地方といった意味であった。

このことから「四戸」が存在したことは確認でき、「四戸」という地名は、櫛引、旧南郷村、旧名川町、旧福地村の辺りを指し、江戸時代初期に盛岡藩が行政区分を変更する際になくなり、地域名としての「四戸」が公式に消滅した。

つまり「四戸」は江戸時代初期に消えた地名ということになるのだ。

糠部郡は、上北郡・三戸郡・二戸郡・九戸郡に解体、その後に再編される。

これにより、一戸町・二戸市・三戸町・五戸町・六戸町・七戸町・八戸市・九戸町が現存するが、「四戸」のみ復活しなかった。

「四戸」の中心部は、現在の八戸市櫛引ではないかと推測されている。

というのは、この地にある「櫛引八幡宮」がかつては「四戸八幡宮」という名称だったから。

「櫛引八幡宮」の神社に残る史料によれば1366年には確かにその名前だったこと、「四戸」がなくなった理由は、「四戸」という地域が細長く管理しにくかったからという話が書かれている。

 

青森県:八戸市・三戸町・五戸町・六戸町・七戸町

岩手県:二戸市・九戸町・一戸町