こちらは、「ぴいなつ作品」です!

ぴいなつ先生の作品を紹介しています。


ぴいなつ先生の新作「函館ストーリー」が完成しましたので、公開いたします。

今回は「石川啄木」がテーマ。

函館での石川啄木の足跡をめぐる男女が、市電で出会う物語です。

美蘭先生のリクエストにより、ぴいなつ先生がインスピレーションのままに書き上げた、新しい函館ストーリーを、お楽しみ下さい!



函館ストーリー「きらめく言葉の結晶」

 

梅も桜も一斉に咲き揃う、短いけれど華やかな、函館の春…

まだ雪が残る函館の坂道は、太陽の光をキラキラと反射している。

陽気に誘われ旅人となった僕は、市電の谷地頭電停から、浪漫ある風景を求めて函館に移住した流浪の歌人、啄木が歌に詠んだ風景をめぐる旅をスタートさせた。

 

真っ先に、僕は啄木一族の墓にお参りした。

《東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる》

上京後、創作活動に行き詰まった心の痛みを、故郷を捨て函館に辿り着いたときの辛い心境と重ね合わせて詠んだ歌だ。

函館の大森海岸が舞台となった『一握の砂(いちあくのすな)』の巻頭を飾る代表作で、啄木一族の墓には、ノートに書かれたこの歌を自筆そのままに拡大したものが刻まれている。

 

次に訪れたのは、青柳坂だ。

青柳町へと続く坂があることから青柳坂と言われるこの辺りは、啄木の借家があり友人たちと文学や夢、恋愛について語り合い、故郷から呼び寄せた家族とともに新生活を送った場所で、青柳町は石川啄木が生涯で一番幸せに暮らした町だ。

《函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花》

この句は、函館の思い出を詠んだ歌の中でもっとも秀逸といわれる作品で、啄木の想いが込められている。

 

僕は、啄木の足跡をめぐり歩きながら、宝来町の茶房ひし伊へと向かった。

ここは、啄木夫人が通った質屋があった場所で、その建物が今は喫茶店になっている。

ひと休みした僕は、宝来町の電停から市電へと乗り込んだ。

気がつくと…

僕の斜め前のシートに、熱心に本を読んでいる女性が座っていた。

「何を読んでいるのだろう?どんな本だろう?」

電車が動き出す時、彼女が読む本の表紙が見えた。

その本は、僕のポケットにある石川啄木の『一握の砂』だった。

「彼女も一人旅で、啄木の足跡をめぐり歩いていたのだろうか?」


僕は、しばらくして目的地の「千代台」で下車した。

すると、偶然にも彼女が一緒に降りてきた。

「あの・・・もしかして、啄木がお好きなんですか?」
僕は思わず彼女に声をかけ、ポケットから『一握の砂』を取り出して見せた。
「あっ!」
彼女は驚いた顔をしながら、自分のカバンから同じ本を取り出して見せ、微笑んだ。
「ということは、啄木の足跡をめぐる旅ですか?」
と、僕が聞くと…
「あ、ハイ!これから啄木小公園に行ってみようと思って!」
と、彼女がニッコリと笑った。


「いやぁ、突然声をかけてしまってスミマセン。市電の中で、『一握の砂』を熱心に読んでいる姿が印象的で・・・もしかして、僕と同じかな?って思ったもので」

「そうなんですね!じゃあ、もしや行き先も一緒ですか?」
「ハイ、その、もしやです!」

そう言うと、僕と彼女は同じ方向に歩き始めていた。
千代台の電停から啄木小公園までは歩いて20分ほどらしいが、
啄木が過ごした函館をたくさん肌で感じたい!という想いから、僕らは歩き出す…

啄木について2人で熱く語っているうちに、あっという間に目的地に着いてしまった。

「あのー、もしよかったら、このあと大森海岸沿いを歩きませんか?」

「いいですねぇ〜実は、わたしもこのあと行くつもりでした、ぜひ!」
と、彼女は快くオッケーしてくれた。


「わたし、啄木の話をこんなに共有できる人は、初めてです!」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「僕もです!だから、一人旅で?」
「そうそう!なかなかマニアックな旅になるから、誘う相手もいなくて」
と、彼女もおどけた。
いろんな話をしながら、僕たちは大森海岸沿いを歩いた。
さすがにすっかり寒くなり、そろそろ旅もお開きの時間だ。

「僕はこれから湯元啄木亭に泊まるんで、市電で湯の川温泉まで行きますけど…」
と言うと、彼女が口に両手を当てて大笑いしている。
「あの・・・わたしもです、湯元啄木亭!」
「エーッ!」
僕は、驚くやら嬉しいやら、いろんな感情がごちゃ混ぜの気分で舞い上がった。

「ベタなんですけど、啄木ファンならば見過ごせない名前かなって…」

と、照れながら笑う彼女に、僕も一緒に笑った。


じゃあ、ホテルの夕飯をご一緒しませんか?一人で食べるのもちょっと味気ないし、バイキングですからね」

と、彼女が誘ってくれたので…
「いいですね〜そうしましょう!」
と僕も即答した。

僕は、ホテルのバイキング料理を楽しみながら、彼女の言葉に耳を傾けた…


《砂山の砂に腹ばひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日》

わたし、啄木の歌では、この歌が一番好きで…

この歌は、わたしに初恋という憧れを抱かせてくれた歌なんです!

わたしは、以前に啄木と同じく4ヶ月ほど函館に居ました。

そして、啄木はその4ヶ月という間に函館という街や人々を愛して、「死ぬ時は函館で」という言葉を残したのです。

なぜ、啄木はふるさとの岩手ではなく、函館を選んだのか?

その想いをわたしも理解できたら、もっと函館を好きになるし人をもっと愛せると思うのです。


運命っていうものがあるとすれば、こういう出逢いを言うのだろうか?
僕は、啄木が4ヶ月しか過ごさなかったにも関わらず函館に魅了された理由が、彼女を通して少しわかった気がした。
過ごした時間の長さではない、なにか強く惹きつけられる、神秘的な何かを…。


END



物語の舞台となった函館を紹介…

・石川啄木

石川啄木は本名を石川一(はじめ)といい、明治19年に岩手県にあるお寺の長男として生まれた。

やがて中学校に入学した頃に文学を志すようになる。

明治38年に処女詩集『あこがれ』を刊行し、その年に結婚。

幸せの絶頂だったが、父親が住職を罷免され、一家の生活が肩に重くのしかかる事に。

その後、創刊号に寄稿した縁から函館の同人雑誌『紅苜蓿(べにうまごやし)』を発行する苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人たちに迎えられ函館へと向かう。

函館での啄木は『紅苜蓿』の編集に携わり、短歌を作るなど意欲的に創作活動を行う。

さらに代用教員としての職を得たことで家族を函館に呼び、文学を志す友人にも恵まれ、充実した日々を過ごしていた。

しかし明治40年に函館大火が発生し、一家の生活は再び苦しくなり啄木は新しい職場を求めて函館の地を後にする。

啄木が函館に滞在したのはわずか4ヶ月ほどだが、困窮が続き各地を転々とする中、函館での生活が後の作品に影響を与え、彼の代表作となる多くの歌を詠んでいる。

「死ぬ時は函館で」との啄木の言葉を受け、彼が愛した函館に友人らが立待岬に墓を建てた。

その墓は、啄木が好きで良く散歩した大森浜を見下ろす高台にある。

 

・石川啄木一族の墓

啄木と妻節子、娘京子、両親が眠る墓。

啄木は明治454月に、満26歳で短い生涯を閉じ、その遺骨はいったんは浅草の等光寺に預けられたが、節子夫人の希望で遺骨は函館に移され大正2年、啄木の愛した立待岬に墓碑が建てられた。

 

・大森海岸

大森浜には啄木小公園があり、そこは啄木がしばしば散策し歌を詠んだ砂山があった場所。

四角い台石に頬杖をつく啄木の座像があり、背中には…

《潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや》

の歌が刻まれている。

「北の浜辺」とは大森海岸のことで、啄木が好んで散歩した場所であり、晴れた日には故郷・岩手県渋民村へとつながる津軽半島が望める。

後年、「海というと予の胸には(函館の)大森海岸が浮かぶ」という一文を残している。

当時の大森海岸は、800mに渡ってハマナスが咲く浜と砂山があったという。

 

・青柳町

函館の苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人たちに迎えられた啄木は、文学で結びついた盟友たちの友情や援助、離散していた家族との暮らしを手に入れる。

《こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな》

この歌には、文学で大成しようとする仲間同士、酒を酌み交わし語り合ったことがうかがえる。

やがて、妻・節子と娘・京子を呼び寄せ、その一か月後に母と妹を迎える。

啄木は、函館商業会議所、小学校の代用教員、新聞記者となり新聞に文芸欄を起こすなど、いきいきと働き、文芸結社・苜蓿社のリーダー的存在になり多くの仲間から慕われていた


この作品は、「一人、市電で」という、僕の何のヘンテツもない下手くそな函館ストーリーから、美蘭先生が…

僕が下車するときに、偶然に彼女も一緒に降りてきた。
僕は彼女に声をかけた。
というバージョンだったら、どうなるかな~?

というリクエストに、ぴいなつ先生がインスピレーションのままに書いた物語である!

せっかくのリクエストに答えようとしたが、僕には創作するアイデアもなく、ぴいなつ先生に丸投げしたところ、いつものように可愛らしいドラマを作り出してくれた。

とはいえ、原作者の意地を見せようと、あれこれとイメージしたものの、ぴいなつ先生の作風とは180度もの違いがあり、悔しいので僕のイメージした部分を、スピンオフ。ストーリーとして付け加えた。

これにより、「僕」と「彼女」が、誰だか分かるだろう…


スピンオフ・ストーリー

尾崎先生!

これは、お手紙でなく日記なんです。

 

今日、わたしは再び函館にやって来ました。

真っ先に、尾崎先生に会いに行きたいのをグッと我慢して、同じように市電に乗り石川啄木の足跡をめぐってみました。

久しぶりの函館に自分自身を慣れさせるためにも、先生がお手紙に書いてあるように、市電に乗って小さな旅をしています。

先生が出会ったという、素敵なカップルには会えなかったけど、啄木小公園に行こうと市電を降りた時に、一人の男子大学生に声を掛けられました。

若い男性と話をするのは初めてで戸惑いましたが、同じように石川啄木の足跡をめぐっている事を知り、そこからは一緒に行動しました。

そうそう、「聖地巡礼」とか言うそうです。

でも、啄木なら聖地巡礼より足跡めぐりの方が合っていると、その男性は笑顔でうなづいてくれました。

啄木が、ふるさとを離れ函館の風景や人々を愛したように…

わたしも、ふるさとを離れ函館や尾崎先生を愛するために、啄木の足跡を歩きながら想いをシンクロさせました。

最後は自分へのご褒美に、湯の川温泉にあるホテルに泊まりました。

もちろん、どこのホテルか分かりますよね?

名前が同じだし…

けっきょく、大学生の男性とはホテルも同じでしたが、市電で知り合ったという一つ下の可愛い彼女の話をしてくれました。

もしかして、尾崎先生が市電で会ったカップルって、あの男性かも?

うそー!こんな偶然って、ある?

可愛い彼女は冬果ちゃんと言って、今はテスト期間だそうです。

さて、啄木の足跡をめぐる旅も終わりです…

明日は、尾崎先生に会いに行きますからね!

待っていてね。


END