函館移住記②
「函館へ向かう決意の瞬間」
函館に移住したい—— そう決めたのは、昨年の11月だった。
母の命日に墓参りへ行き、 墓前でふと口をついて出た。
「仕事、辞めるかもしれない」
その言葉は、誰よりも自分自身に向けた告白だった。
当時の私は、医療法人の有料老人ホームで施設管理者として働いていた。
法人には労基が入り、冬のボーナスは出ないという噂が流れ、 廃業の話まで囁かれていた。
そんな空気に、心がすり減っていった。
体調も崩し、ストレスも多かった。
救急搬送が続き、 「看護師でもない自分が、なぜ入居者の生死に関わる対応をしなければならないのか」 そんな疑問が胸に重くのしかかった。
実際には一人勤務で、看護師も介護福祉士もいない。
私は“事務員”という肩書きのまま、 命の現場に立たされていた。
そんな日々に限界を感じ、 総務に内緒で退職の相談を進めていた。
そして10月末、ついに決断した。
総務担当者に 「円満退職をしたいから協力してほしい」 と伝え、11月初めの会議後に事務局長へ辞表を提出した。
業務は12月15日まで。
その後は有給消化を経て、翌年1月15日付で退職——
その場で全てが決まった。
その夜、家に帰り奥さんに告げた。
「辞表を出してきた。1月15日で退職になる」
そして、なぜか続けて口から出た。
「来年、函館に移住しないか?」
自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
奥さんは目を丸くして固まったが、 その目はどこか嬉しそうでもあった。
私の仕事は10年目。
奥さんもパート勤務。
住んでいるアパートは40年近く経ち、 2階は物置のようになっていた。
何度か訪れた函館。
二人とも大好きな街だった。
湯の川に温泉付き住宅があると聞いては、 「いつか函館に住めたらいいね」 と話していた。
両親はすでに他界し、 移住に関しての大きな障害はない。
仕事も辞める。
奥さんも「そろそろ引っ越ししたい」と言っていた。
どうせ引っ越すなら、 これが最後の移住になるだろう。
老後を考え、二人が好きな函館へ——
そう思った瞬間、自然に言葉がこぼれたのだ。
奥さんは驚きながらも、 やがてニッコリと微笑んだ。
「それもいいかも」
そして突然、こう言った。
「住むんだったら、西部地区がいい」
「せっかく函館に住むなら、これぞ函館という場所に住みたい。 だったら大好きな西部地区がいい。それじゃなきゃ意味がない」
強気な奥さんの言葉に「そうだね」と返したものの、 不動産の知識はゼロ。
函館に知人もいない。
本当に移住できるのか—— その不安が、後からじわじわと押し寄せてきた。
「とりあえず相談してみよう」
そう決めて、函館クリスマスファンタジーの時期に函館へ向かった。
向かった先は、函館市地域交流まちづくりセンター。
移住について話を聞くと——
・年齢的にも地域的にも移住サポートの対象外。
・市営住宅は多いが家賃が高いので民間賃貸を探すべき。
・住むなら五稜郭エリアや美原地区が良い。
・湯の川方面はおすすめしない。
そして、おそるおそる尋ねた。
「西部地区はどうですか?」
担当者は苦笑しながら言った。
「古い物件しかないわりに高いですよ。 観光で好きになる人は多いけど、住むのと生活するのは違います。 よく考えた方がいいですよ」
それでも、相談できたことは大きかった。
最後にこう言われた。
「青森からなら冬も雪も大丈夫ですね。 関東から移住する人は多いですが、 冬の寒さと雪に耐えられず戻る人も多いんです」
その言葉を胸に刻みながら、 私たちはベイエリアへ向かった。
函館の風が、 少しだけ背中を押してくれた気がした。
あとがき
移住は、計画よりも“決意”が先に来る。
あの日、自然にこぼれた「函館に移住しないか?」という言葉は、 きっと心の奥でずっと温めていた願いだったのだと思う。
次回は、 「西部地区の物件探しで直面した現実」 について綴ります。

あらためて、本当に本当に
返信削除過酷な現場に10年もいたんだな、って
実感させられる記述、、、
ストレスなんて言葉では
片付けられないと思った、、、
その決断からの移住までが
すべて最高のタイミングで
自然に訪れたんだね
すごいなぁ
なんか、ドラマチック
西部地区の続き、、、たのしみ!!