新年を迎えた第一弾は、縁起物を?と 考えたら、こんな物語になりました(^^ゞ
皆さま、新年あけましておめでとうございます!

箱館ストーリー「クリオネ文筆堂物語~冬の七夕~」

 

尾崎先生…

私は先生に、数え切れないくらいの手紙を何回、書いたのでしょうか?

送られることのない手紙、読まれることのない手紙。

配達されなかった手紙が、今でも残っています。

「手紙」というのは、相手に届いてようやく、その役目を終える。

一度も読まれることない手紙を、当時の私の心の想いと共に夜空へ還します。

 

17歳だった私は、函館から故郷に戻った時に「尾崎先生を求めてはいけない!」と

固く心に想い誓いました。

「尾崎先生を求めれば求めるほど、尾崎先生は幻となって消えてしまうのではないか?」

そんな恐怖が私の心をむさぼり、畏れに支配されていたのです。

 

飛び立つことの出来ない私、終わりにできない尾崎先生への想い。

今では笑い話のようだと思えますね。

でも、あの時の17歳の感傷は私の心に今でも染みています。

「本当に好きならば追いかければいい!」

そんな簡単なこと、と言うかもしれません。

しかし、私自身を再生するには全てを振り捨てる強い信念が必要でした。

時の流れに身をまかせ、私の心を尾崎先生への想いを解き放せば良い!

それが、郷里で感じた私への答えであり信念でした。

 

「尾崎先生への手紙はこれで最後、尾崎先生が幸せならそれでいい…」

私はそう強く念じ、最後に書いた手紙をそっと胸に抱き寄せました。

その時、強い北風が私の体を包み、手紙が空へと飛んで行きました。

私には、何がなんだか分からないまま手紙の行方を目で追うと、懐かしい潮の香りがしたのです。

 

山深い郷里では、絶対に体験できない潮の香りを北風が運んできました。

かすかに潮騒の音まで聞こえたような気がします。

この潮の香りこそ、懐かしい函館の匂い。

いつもは函館山からたくさんの坂道を通り海へと渡る風が、ときおり海から函館山へと潮の香りを運ぶ。

元町公園でいつも私を包んでくれた、切ないほどまばゆい函館の青い空と青い風。

私の函館、尾崎先生の函館、そして私たちの未来へと続く函館…

 

私は、こんなにも尾崎先生を愛し函館の街を愛している。

ゆらゆらと揺れる陽炎のような想いなんて、私の信念ではない!

「尾崎先生、待っていて下さい。私は、再び函館の街に戻ります」

郷里で書いた尾崎先生への最後の手紙、そして自分宛てに書いた手紙。

それは、私自身へ傷つくことを畏れない自分を励ます手紙でした。

尾崎先生への手紙が北風に舞い函館へと届くころ、私は自分宛ての手紙を抱いて再び尾崎先生が待つ元町公園へと旅立ったのです。

 

野本直美からの手紙が届いたのは、2025年を迎えた元旦だった。

尾崎と野本直美は、函館でクリスマスを迎えたあと、2人のふるさとである岩手へと向かったのだ。

《遠野の町は、今日も穏やかでしんしんと降る雪が、静かな時間を作り出しています》

そんな書き出しで始まる野本直美からの手紙は、冬果と青田亜弓と松原みのりへと宛てられたものだった。

尾崎とある儀式を行うために、郷里へと来ていると説明がされており、新年を迎え18歳となる3人に向けたもので、野本直美が自分宛てに書いた手紙が一緒に添えられていた。

自分が函館で過ごした17歳の時の想いが、いつか3人にとって役に立つのではないか?という野本直美の優しさである。

手紙の最後には、文筆堂のみんなには別に手紙を書いていると記されており、この手紙は3人の胸にしまっておいてほしいとあった。

 

これとは別に、尾崎と野本直美が行ったある儀式については、簡単な説明が全員の手紙に書かれており、函館に帰った際には同じ儀式を文筆堂の庭で行いたいとあり、既に栗生姉にいさんの許可は取っているとあった。

その儀式とは、「冬七夕」というもので、大晦日の夜から新年が明けた時に短冊に書いたその年の感謝を吊るした竹を炎と共に空へと還すのである。

新年が明けた時に、旧年中の良いことも悪いことも全て浄化させ、新年に新しい縁を呼び込むという意味がある。

この儀式を参考に、野本直美はこれまで郷里から尾崎へと出せなかった手紙を炎と共に空へと還した。

もちろん、尾崎にとってはこの手紙の内容は知らされていないが、尾崎は同じように野本直美へとしたため出せなかった手紙を持って来ており、一緒に空へと還した。

 

この2人だけの儀式は唯一、野本直美から松原みのりへ、尾崎から栗生姉へと詳細が伝えられており、松原みのりと栗生姉は深い感動を持って自分たちだけに打ち明けてくれたことへの感謝とともに胸の奥へとそっとしまい込んだのである。

 

本来の意味での「冬七夕」は後にクリオネ文筆堂にて全員が参加して行われ、尾崎から似たような行事は昔むかし北東北で行われていたこと、青森県の一部地域では同じ意味で「冬ねぶた」が行われたと説明を受けた。

これを聞いた麻琴が、「これは新しい函館のイベントになる!」とさっそく梨湖と柊二に企画を練るように指示を出していた。

夏妃は、「まずはクリオネ文筆堂のイベントの一つとして定着させ、元町がある西部地区から函館全域に広がるようにしましょう!」と栗生姉に提案し、それに賛同するように奏太朗と冬果青田亜弓と桐山卓也、松原みのりと亮介と康平が大きな拍手をした。

 

新年を迎えた箱館クリオネ文筆堂では、紅い炎をみんなが黙って見つめていた。

「冬七夕だから、短冊には来年の願い事を書こう!」という麻琴の言い出しに、栗生姉が賛成し、それぞれの短冊には、思い思いの願いが書かれてあった。

野本直美のもとには一緒に志を立てる冬果と青田亜弓と松原みのりが集まり、4人でしっかりと手を取り合い真剣な眼差しで見つめ合っていた。

少し離れた場所では、梨湖と柊二が手を取り合い炎が上がる空を見ている。

奏太朗と桐山卓也、亮介と康平は、尾崎の口から語られた「冬七夕」の意味をそれぞれが解釈し、「また一つ勉強になった!」とお互いにそう言うと頷きあった。

そんな光景を尾崎と栗生姉が微笑ましく眺めており、やがて炎が消える時に力強く握手をしたのだった。

 

END

 

今回の箱館ストーリー「クリオネ文筆堂物語~冬の七夕~」はいかがだったでしょうか?

新年を迎え眠れない布団の中で、思いついたストーリーの断片を繋ぎ合わせたら、こんな物語になりました。

テーマを「冬の七夕」とすることは最初から決まっており、冬に行う七夕のミステリアスな部分を上手く演出できたら?などと書き出した結果がこの有り様です()

実際には「冬の七夕」という行事は岩手の遠野には無かったと思います。

しかし、「冬の七夕」という言葉がとても気に入り、どうしてもこれをテーマにしたかったので、野本直美をキーパーソンに構成しました。

函館の七夕祭りは7/7で青森のねぶた(ねぷた)祭りが起源だという説があります。

七夕祭りで子供たちが歌って歩く「ろうそくもらい」の歌も、昔むかしのねぶた(ねぷた)は中にろうそくを灯しており、子供たちが提灯を持ちそれに従った事からだという説です。

提灯を持った子供たちが歌を歌いながら家々をまわるのも、昔は同じように七夕の夜にねぶた(ねぷた)がお囃子を奏でながら家々をまわり、秋の豊作を願いました。

そんな風習も少子化や時代とともに無くなり消えてしまいましたが、函館や一部の北海道の地区に昔ながらの七夕行事が残っています。

ですから、「冬の七夕」も想像の域ではなく、実際に行われた風習だったかもしれません。