岩手県遠野市は、青森県八戸市と縁があります。

青森・岩手・秋田の一部と、広大な領地を持っていた「南部藩」ですが、元は三戸南部八戸南部がありました。

しかし、戦国時代末期に南部藩に大きな転機が起こります。

それは、秀吉による小田原参陣の命令でした…。

これに参陣した藩は大名として認められたのですが、 南部藩では内紛があったために八戸南部が留守を守り、三戸南部が小田原に参陣することになりました。

これにより、三戸南部は大名として認められ、八戸南部は三戸南部の配下に入ることになるのです。

その後、江戸時代に三戸南部は盛岡に移り「盛岡南部」となり、八戸南部は遠野に領地換えとなり「遠野南部」となるのでした。

さて、遠野市と八戸市との縁はこれだけではありません。「メドツ(河童)との繋がりです!

今では全国的に有名な遠野の河童」ですが、そもそもは八戸から移住したメドツではないか?という説があります。

1627年に根城南部氏が遠野に移ったときに一緒にくっついていった河童だというのです。

(このことは、「かたづの(中島京子)」という本にも書かれています)

これは小説の話しではなく、実際の目撃情報「真っ赤な顔と大きな口」でも、八戸のメドツ目撃談と一致するのです!

八戸の櫛引八幡宮に残るメドツ伝説では、《メドツとは凶暴な水辺に棲むモノ》とされています。

一方、遠野では、《河童はいたずら好きな水辺に棲むモノ》であり、この河童が水から陸に上がると座敷童子になるといいます。

「メドツ」は八戸が発祥とされており、根城南部氏と一緒に遠野に行ったメドツが河童になり、やがては座敷童子として生まれ変わり、日本初の女性の殿様・清心尼を支えたのかもしれません。


どんとはれ。