函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」

~第三部~

 

訪れた季節を見つけるために、ひとり旅立ちたくなる瞬間、ありませんか?

振り向けば、ギンギラの夏の太陽が妙に肌に恋しかったり…

吹いてくる風の冷たさに、しのびよる冬を感じたり…

そんな季節の変わり目に、身を任せてみたいと思いませんか?

私は、「流れる季節の中に、自分の心を解き放してみたい…」と、そう思うのです。

 

毎年、初雪が降ると、尾崎先生の事を思い出します。

私たちは、いつも函館の元町公園のベンチに座り港を見下ろしながら、いろんな話をしました。

時より冷たい風が通り抜け、ほのかな望みを私に抱かせました。

《初雪が降った日に、好きな人と一緒にいると、その恋は実る!》

これは私の、オマジナイなんです。

尾崎先生は、いつも小さくつぶやくように口を開いて、話をしました。

私たちは、近すぎもしないし遠のきもしなかった。

そんな恋心も、私一人の想いよがりだったのかもしれません。

 

野本君、元気で居るだろうか?

僕は、茜色の黄昏の中、ゴトゴトと走る市電の車窓から暮れゆく函館の街並みを見つめていたよ。

明治の時代から変わらないものと、変わってしまったものに思いを馳せていたら、函館の空気には多様な色があることに気がついた…

・東雲色の朝。

・朝葱色の昼。

・茜色の夕。

・群青色の夜明け。

刻々と移ろう函館の街の彩りを、ガタゴトと車体を揺らして走る路面電車の窓から眺めると、いつも見慣れた景色も違って見える。

こういう感覚を、現代を生きる我々はどうやら忘れてしまったようだ。

のんびりとスローな時の旅人になって、僕はナオミちゃんにまた会いたいと思う。


それは、尾崎先生からの2通目の手紙だった…


尾崎先生、私がどうやって函館で尾崎先生に出会えたのか?

その事を、今日は語りたいと思います。

先生が、《時の旅人になって》と、お手紙に書いていましたが、私はその《時の旅人》になったのですよ。

 

さらさらの雪が眩しかった、ある日の朝…

私は、生まれ変わりました。

 

私が居た世界は、隠れ里と呼ばれており、東北地方のとある山深い森の中に、ひっそりと街があり、そこは現実の世界とは決して交わることのない異世界でした。

しかし、時には現実の世界とパラレルな異世界である隠れ里の接触が起こる事があります。

おそらく時空の歪みのようなものでしょう、突然現れる私たちの姿を見た人は、私たちを座敷童子と呼びました。

 

ある日の事…

隠れ里にある雪野に花が咲き、動物たちがほうほうと呼び交わす声に、私はゆっくりと目覚めました。

寒さが厳しいはずなのに、陽の光が里の盆地の四方にみなぎりあふれ、梅も桜も満開となり、水が光る七つ沢に笛の音色が鳴り響いていました。

「時が、来たのだ!」

私は、急いで青笹の沼に行って巫女石に祈りを捧げ、むらさきの霧がたなびく水面に身を沈め禊ぎをしました。

そこには、羽の生えたような大木があり、私が跨ると、どこからともなく鐘の音が鳴り響き、大木が勢いよく水をくぐりぬけ空に舞い上がったのです。

気がつくと私は、身も心も17歳の女子高生になり、函館の元町公園に佇んでいました。

水車の時間がゆっくり回っている隠れ里から、尾崎先生の住む函館へ…

かつて私が、一緒に遊んでいたサトちゃんが移り住んだ海が近くにある街。

ここで私は1年間、野本直美という人間になり高校生という時間を過ごし、尾崎先生に恋をしたのです。

 

私たち、隠れ里に住む者たちは歳を取りません。

最初に初めて人間に接触した年齢のまま永遠に、隠れ里で生き続けるのです。

私が、初めて人間に接触したのが子供の頃であり、それが当時は私と同じ年齢の子供でした。

そして私の存在に最初に気が付いたのが、かくれんぼをして遊んでいた“サトちゃん”という男の子だったのです。

私はいつまでも小さいままでしたが、“サトちゃん”は、やがて小学生から大人になり教師になりました。

そして私は、1年間という限られた時間の中で、人間として17歳の高校生になり、尾崎先生の目の前に再び現れました。

尾崎先生は、昔と同じく私に気が付いてくれました。

「どうやら座敷童子がいるようだな、一学期は45人だったのに今は46人になっている…」

その日から私たちは、学校の帰りに元町公園で、二人で話をするようになりましたね。

尾崎先生は子供の頃に私と出会っている事を覚えていないようでしたが、私はいつまでもサトちゃんの事を覚えていました。

その時、それが“恋”というものなのだと知ったのです。

 

そんな中、私は17歳の女子高生という年齢の意味や、またそういう大人になりかけの難しい年頃の、不安定な心というものを実感したのです。

それは、メタファーではない、私にとってリアルな体験でした。

私には、人間になれる時間は限られていました。

私は、その時間が許す限り、勉強に恋に一生懸命だったのですよ、尾崎先生…。

 

尾崎先生は、市電の中で野本直美からの手紙を読み返していた。

いつもなら函館観光の足として観光客で賑わっているのだが、乗客はまばらでゆっくりと手紙を読むことができた。

ガタンゴトン、ガタンゴトン…路面電車の懐かしい響きが、尾崎先生の気持ちをスローにさせ、野本直美の手紙は心を癒やしてくれた。

 

野本直美に、尾崎先生からの手紙が再び届いたのは、抜けるような青空に、さわやかな風が抜ける、そんな夏の日だった…

 

野本君…

僕は市電に乗り函館の魅力を探すことを、最近は日課にしている。

古きを訪ねて新しきを知る。

歴史に足を伸ばせば、あこがれに近づける、そんな気がするのだよ。

 

ナオミちゃんの想いが、僕に初恋という憧れを抱かせたのなら、僕もナオミちゃんに同じような想いをしていた、それは野本直美という女の子に出会う前からね。

 「砂山の砂に腹ばひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日」

石川啄木『一握の砂』より


今日は、市電で青柳町に行き、石川啄木の足跡をなぞって歩いてきた。

 

太陽が輝く夏はもちろん、降る雪がいっそう美しさを際立たせる冬。

函館は、いつでもベストシーズン!

だから、僕は四季ごとに函館から野本君に手紙を書くよ。

 

そうそう僕は引っ越しをしてね、今は通勤に市電を使っているのだが、最近とても感じの良い高校生のカップルに会うよ。

野本君みたいな可愛い女の子が、先に市電を降りる彼に小さなメモを渡すんだ!

次の日は、その逆で彼が市電を降りる前に、彼女にメモを渡していた。

かつて、野本君が僕にお弁当を作ってきてくれた時も、小さなメモが入っていて、そこには本のタイトルとページのみが書かれていたね。

そして図書館に行き本を探して、そのページのどこを野本君が伝えたかったか?を深く考えたものだったよ。

でも、ずいぶんと懐かしい感じがするね、そんなに時間は経過してないはずだけど。

いつの日か、こうして思い出だけが残るのだろうか?

あの市電の高校生カップルのように、函館のどこかで野本君に会いたいものだね。

 

私、やさしく笑いたいし素直になりたい。

今日までの自分を捨てて新しい自分を作りたい。

自分でも嫌いなところ一杯あるけれど、今までの自分をよく知っているから、何だか照れくさい…。

ここは、尾崎先生とよく話をした元町公園、あの頃と変わらない風景が懐かしい。

でも、ずいぶん遠い日のように感じる。

 

尾崎先生、お元気ですか?

私は、また函館に来ています。

尾崎先生と別れてからも、「尾崎先生」と呼べば、今にも「野本君」と答えてくれるような気がしていました。

夜の静けさの中で、そっと目を閉じれば…

尾崎先生と別れた、あの日のことを思い出します。

私が、函館から隠れ里に帰る前日の夕暮れ。

尾崎先生の優しい声、尾崎先生のしぐさ、何度も何度も思い出しては心が温かくなります。

同じメロディーを繰り返すオルゴールのように、私の心を優しくしてくれます。

 

尾崎先生、私は隠れ里から、再び函館へやって来ました。

そして、再び冬の元町公園に佇んでいます。

私が、この心の中にあるモヤモヤとした気分を、函館山から海に向かって吹き下ろす風の中に解き放す事で、深い闇のような不安定な心の気分を心機一転させ、私は再生されるのです。

私が高校時代に過ごした、この場所から新しい人生を迎えるのです。

あの時と同じ場所から…。

 

もともと、私たちが一時的であれ人間になるのは、隠れ里のタブーでした。

禁忌を犯した私は、隠れ里では誰にも理解されずに、いつも一人ぼっち…。

これから、どうやって生きていくのか?

自分でも分からず、具体的なことも理解できませんでした。

私がやるべき事は、この隠れ里から逃避したり離れてしまうのではなく、さまざまな試練を経て、自分自身を再生する事。

私は、このまま不死の世界である隠れ里に留まるか、あるいは人間としての寿命を得て現実の世界に戻るか、その選択を迫られる事となりました。

私は、人間になることを選択したのです。

それには、どんな喪失にも耐えられるだけの、精神的な強さが必要であり、現実の世界で生きていくための力が必要でした。

私が現実の世界で人間として生きていくには、人間として成長しなければならない。

また、現実の世界という源泉と結びつくことは、自らの血を流さねばならない…。

 

私は、人間になるための、時を待つことになります。

そして、その時がやって来ました。

私は青笹の沼で、湖面の中にある大木にまたがると、大木が勢いよく水をくぐりぬけ空に舞い上がり、気が付くと人間として生まれ変わった私は、函館の元町公園にいたのです。

私の心と体は、尾崎先生を求めていたのです。

 

私は性の結合をせずに処女の血を流し、過去の呪縛を解放したのです。

それは、これから人間として生きる為のイニシエーションでした。

豊かな恵みの食べ物の多様性や、微妙な感性を育てる幸せな環境がなければ、何も感じ取る事も受け入れる事も出来ない人間になってしまう。

そして、人間の多様性は可能性でもある。

自分の心と体で感じ取り、判断して生きてこそ、人間なのだ。

健やかな体と優しい心があれば、誰かを愛したくなるし愛する力が湧き出るはずだから。

 

私が住んでいた隠れ里は、幾つもの峠がある山々で囲まれた盆地です。

この峠とは、人間界と隠れ里を隔てる境界線なのでしょう。

でも私には、“峠を越える”という事に、もっと大きな意味があるような気がします。

峠で、人は何を想い描くのでしょう?

峠で、人は哀しみを振り捨てるのでしょうか?

峠で、人は歓びをいくつ噛みしめたのでしょう?

峠は、その人の人生を確かめる、過去と未来の節目なのではないでしょうか。

 

往き戻りつつ、佇んで…

函館は、私に語りかけます。

はるかな函館…

私の函館…

尾崎先生が、私に語りかける函館。

 

私は、この街でこれから生きていきます。

たとえどんな試練が待ち受けていようとも、私は大丈夫です。

それまで、見守っていてください。

尾崎先生!約束ですよ。

 

さて、そろそろ尾崎先生が元町公園にやって来る時間だわ…

いつものベンチの裏にある、この木に隠れて尾崎先生を待ちましょう。

 

「尾崎先生~!」

「のっ、野本君。どうして、いつ…」

野本直美が尾崎先生の胸に思いっきり抱きつくと、それを祝福するように空から、タンポポの綿毛のような白い雪が舞い落ちた。

それは、函館で今年最初の雪だった。

 

[END]

 

今回の、函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」~第三部~は、お楽しみいただけましたか?

この物語も、これで完結となりました。

 

この物語は、元々は「17歳の感傷、私の再生物語…」というタイトルで、野本直美を主人公にした、小説「かくれんぼ」の、その後のストーリーとなる独立した物語でした。

今回、小説「かくれんぼ」を見直しタイトルも一新して、函館を舞台にした座敷童子である野本直美と尾崎先生の淡い恋の物語、函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」としました。

元の原稿は、尾崎先生は登場しないので、続編ではない物語を、どう繋げるか?というところに苦労しました。

そして、原稿では野本直美は大人の人間に生まれ変わり、函館から時すでに居ない尾崎先生の後を追うのではなく、新しい恋に生きようと決意し、ラストを迎えました。

そんな感じでしたので、第三部として物語を完結するには難しく、ぴいなつ先生に「どうしよう?」と泣き言を言うと…

悩み苦しんでいる僕をあざ笑うように、「第三部は、第二部の1年後がいいなぁ~」とのんきに言われ、元の原稿を半分はカットし、ようやく第三部として作り直し、物語も完結しました。

 

函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」は、この第三部をもって完結いたしました。

どうぞ、第一部から第三部までお楽しみいただければ、幸いです。