こちらは、函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」の第二部となります。

前回、野本直美と別れた1年後、尾崎先生の物語です。

それでは、お楽しみ下さい!



函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」

~第二部~

 1章【緑の日々】

野本直美が隠れ里へ帰ってから、もう1年が過ぎようとしている…

急に幼少時代が気になり休みの日に、古いアルバムやノートを捜し出して、ゆっくりと眺めて過ごしていた。

しかし、じきに気持ちは重くなった。

アルバムやノートでは垂直に思い出を辿るばかりか、ナオミちゃんの写真も記述もなかったからだ…。

 

それで、自転車を取り出して、ガボちゃんたちと子供の頃にかくれんぼをして遊んだ、西部地区の洋館の辺りを走ってみた。

それは空気が新鮮で、気持ちの良い5月だった…

錆びついたもの哀しい古い自転車が走っていくと、まず最初に草の匂いが鼻をついた。

ずっと昔の、あの時の匂いだ。

5月の風はそのように、時の彼方から思い出を吹き込むのだろう。

顔を上げ、耳をすませば…

少年期の風景は、水平にどこまでも広がっていくのだった。

 

5月になると、木々は新鮮でみずみずしい若葉を付ける。

新しく入学した新入生は、まだ慣れない学園生活だが、校庭にある大きな桜の木は、終わりの花を咲かせていた。

尾崎先生は、一人で桜の木に体をあずけ草笛を吹いてみた、青葉の緑々しい匂いが口元に広がり、なんともすがすがしい。

 
尾崎先生は、野本直美の思い出にひたっていた。

さっきまで降っていた五月雨が、まるで通り雨のように止んだ。

南から吹く風が、かすかな潮の匂いと虹を運んできた。

爽やかな南風と薄色の虹が函館山から八幡坂にかけてきらめき、春の終わりを予感させるように輝いている。

野本直美から、尾崎先生に2通目の手紙が届いたのは、そんな5月の晴れた日だった…。

 

第2章【時の旅人】

尾崎先生、お元気ですか?

函館は、新緑の季節を迎えているのでしょう。

こちらでも、風が季節を連れて来てくれました。

今、静かな深い緑の木立の中にいるせいか静止した時間の訪問者のように…

おとなしくて、一人きりの空間に佇んでいます。

夕べの雨がウソのように晴れ上がり、木の葉にしがみついた水滴が光っては零れ落ちています。

なんとなく草笛を吹きながら歩いていたら、いつの間にか尾崎先生の好きなメロディーに変わっていました。

観客は、たった一羽の鳥です。

冬と共に消えた私の恋…

初恋は実らないからこそ、美しいのですか?

尾崎先生が私にとって大切な人であることが、先生には分からないかもしれないけど、私には分かります。

さっきから、ずっと出ている虹。

だから、まだ見ているのは、私だけかも…。

 

静かな気持ちで身の回りを見ると、今まで気が付かなかった草や木々、川の中の石にも淡い愛があることに気がつきます。

季節の初めを彩るつぼみのように、私の中で優しいものがふくらみます。

過ぎてしまった出来事を思い返すのは、もうやめます。

さようなら、尾崎先生…

また、手紙を書きます。

 

尾崎先生は、何度も何度も野本直美からの手紙を読み返した。

澄んだ青空の下、尾崎先生は手紙から顔を上げると、豊かな樹々の香りと野鳥のさえずりを風が運んできた。

目を閉じると、穏やかな水の流れのように“時”が尾崎先生の体を通り抜けていくのが、感じられるのだった。

 

第3章【季節の移ろい】

やがて季節は5月から、秋へと流れて行った。

そして、隠れ里にも風が新たな季節を連れてきた頃、野本直美の元へ1通の手紙が届いた。

それは尾崎先生からの、初めての手紙であった。

 

野本君、元気にしているだろうか?

函館は、あの時と同じ秋を迎えている。

元町公園のベンチで、野本君に座敷童子の話をした、ちょうど同じ日に手紙を書いている。

何度か手紙を書いてみたけど、どうやって野本君に送ればいいのか分からなくてね…

試しに玄関にあるポストに手紙を入れたら、いつの間にか無くなっていた。

きっと、無事に野本君の元へ手紙が届いている!と思い、改めて手紙を書いている。

 

野本君からの2回目の手紙を読んでいる時、函館でも虹が出ていてね。

ちょうど虹を見ていて、もっと見ようと思ったら消えていたけど、二人で同じ虹を見ていたんだ。

音もなく、温かく甘い匂いがする同じ雨を見上げていた、5月の午後だったね。

野本君に会えて、本当に良かったと思う。

僕は毎日のように学校の帰り、元町公園に立ち寄っているよ。

手紙をありがとう。

うれしかった、とても。

ナオミちゃんが、愛しかった。

別れてから、ちょうど1年、あの時は悲しかったけど今は、こうして笑っていられる。

どうか誰にも内緒にしてほしい、僕は心からの愛を君に捧げるから…。

 

夏の実体は、その影の濃さ。

そして、秋こそが光。

見上げても肌を灼くことも目をつぶすこともない静かな光。

空に雲ひとつない、よく晴れた元町公園では、夕暮れもなく青いままの空が夜に沈んでゆき、全体がぼんやりとした秋特有の不透明なベールに覆われていた。

その捉えどころのないベールの上から、空の青が少しずつ滲み込み青いままの夕暮れに月がポッカリ浮かんだ。

その光は細かく音もなく大気の中を降り、気取ることなく地表に積もった。

尾崎先生は、ぼんやりとした月に向かって、野本直美の事を祈った…

そしていつか、その願いが、やがて姿を変えるだろう。

世界は、無数の祈りで形作られているのだから。

 

第4章【まほろば】

尾崎先生…

一本の木から、何を学べるのでしょうか?

大木ともなると長い年月じっと動かずそこに立っている。

冬に耐え、風雪に耐え、ただ黙って立っている。

その勇敢な姿に人々は見とれ、励まされる。

幾年もの間、この世を見守り続けてきた一本の木から、私たちは多くの事を学ぶことができると思うのです。

大木の高さや太さを、自分の背丈や腕の太さと比べてみる…。

そうやって、自分を励ます方法を見つけています。

ところがある時、不思議な気持ちになりました。

高さや太さを背丈や腕とするなら、あの燃えるあおあおとした葉は、何なのでしょう?

一枚一枚を、何と比べればいいのでしょう…。

5月の木の下で、この宿題をもう一度、問うてみたいと思います。

 

p.s. 

尾崎先生のお手紙は、ちゃんと届いていますよ!

ありがとうございます。

どういう仕組でお手紙が届くのかは、私にも分かりませんが…

尾崎先生と、まだ繋がっているというのは、とても嬉しく励みになります。

隠れ里では、不思議なことは当たり前ですので、尾崎先生は驚かれたでしょうね。

私には、難しいことは分かりませんが、時空を超えて私と尾崎先生がシンクロしている!ということなのでしょうか?

最後に、私の好きな歌の歌詞を書きます。

 

『MYメモリーズ』

あなたのことなら すべて覚えているよ

眼を閉じれば どんな小さい事も浮かんでくる

あなたは離れてしまった 手の届かないところへ

愛しているとも 待っているとも

私の想いを 伝えられぬままに

今でも まだ信じられない

あなたと再び 逢えたなんて

いまでも愛している ようやく伝えられる

私は愛し続けたい まだ間に合うなら

これからも 永遠に傍にいてほしい

いくら時が流れていても どんなに離れていても

あなたはずっと 私の胸に生きているのだから

今でも信じられない あなたに逢えたなんて

いまでも愛している ようやく伝えられる

愛し続けたい まだ間に合うなら

これからも 永遠に私の傍にいて…。


第5章【独想(おもい)

尾崎先生は、校庭の桜の木に体をあずけ茜色の空を見上げ、野本直美からの3通目の手紙をもう一度、見つめ直した。

そして、木漏れ陽に目を細め、つぶやいた。

「過ぎた春には、桜を吹雪のようだと思ったものを…花を見て、雪を惜しみ 雪を見て、花を恋う。季節はむしろ記憶の中にあるのだね、ナオミちゃん」

 

野本直美が、隠れ里から尾崎先生に語りかけていた…

《サトちゃん、遠い夕空に一番星が輝いているよ。いついかなる時も、北の空に輝く星は絶対に動かない。サトちゃんは、そう私に教えてくれた。函館の夕空にも一番星は輝いているのかな?この星が、ネックレスのように私とサトちゃんを結びつけてくれると、いいな…》

 

夕暮れの元町公園で尾崎先生が、野本直美に語りかけていた…

《ナオミちゃん、君みたいな一番星が輝いているよ。あれは、間違いない!あの時に、かくれんぼしていた帰り道に2人で見た、一番星だね。ふと、夕空を見て思った。ナオミちゃんに逢いたいと…》

 

尾崎先生と野本直美は、お互いに夕空に向かい手を伸ばしていた。

できるだけ近くに…《私の願い》が届くようにと。

 

座敷童子である“ナオミちゃん”は人間と違い、歳をとらない。

ナオミちゃんは、尾崎先生に逢いたいがために無理に「野本直美」という高校生になったのである。

それも、わずか1年間という条件付きで…。

隠れ里に戻っても、ナオミちゃんの心は高校生のまま。

大人の心を持つようになったナオミちゃんは、尾崎先生にいつまでも、恋心を寄せているのだった…。

 

黄昏から夜になる、ちょうどブルーの時間帯には、人は情緒的になる。

それは思い出について考える時間であり、過ぎ去った事に懐かしさを感じるのである。

セピア色の夕暮れが、尾崎先生の背中を押した。

尾崎先生は、ゆっくりと元町公園を離れ、基坂を下りはじめた。

そして、何度も公園のベンチを振り返って見た。

まるで、野本直美が手を振っているような気がする。

「夢は、死なないのだね…ナオミちゃん」

尾崎先生がそうつぶやくと遠く函館山の彼方に、流れ星が光っては消えたのだった。


【END】


函館ストーリー「5月の陽~雪のうつろ」~第二部~、いかがだったでしょうか?

今回は、尾崎先生の主観で始まる物語で、最後に座敷童子である野本直美の謎が分かるようにしました。

もともと、この第二部となる物語は後から付け足したもので、最初からこのような構想はしておらず、尾崎先生と野本直美のその後を気にするリクエストの声に答え、一度だけ公開したものでした。

しかし、物語の幅を広げ過ぎてまとまりがつかずにいましたが、ようやく形あるものになったと思います。

調子に乗り、物語を広げてしまい、次回の第三部にてこの物語は完結します!

次回は、野本直美の主観で始まる物語、どうぞ最後までお付き合い下さい。