ずいぶん昔の話だが、今でも思い出しては感謝している。

 

数十年前に僕らは、初めて函館に行った! 

僕らは小学校の修学旅行先が函館だったので、それ以来だった。 

僕の函館への修学旅行は津軽海峡を青函連絡船で渡り、トラピスチヌ修道院や大沼、函館山からの夜景、宿泊は湯の川温泉だった。 

やがて、青函トンネルが開通し青函連絡船はなくなり、直通の特急列車が青函トンネルを走り抜け、片道3時間となった。 

その頃の函館は、グッと身近になり青森県民にとっては「一番近い外国」と称され人気となった。 

特に赤レンガ倉庫が立ち並ぶベイエリアから、有名な八幡坂、函館山の麓の元町へと、函館は駅から歩いてこれら観光スポットを回ることが出来るのが魅力だった。

 

僕らは、まだ結婚する前だったが奥さんが2月生まれという事もあり、誕生日のお祝いに函館に行くことにした。 

2人とも函館は小学校の修学旅行以来であり青函トンネルも初めてだし、何よりベイエリアから函館山の麓の元町まで何があるのか修学旅行では行かないエリアだったので何も知らなったのだ。 

初日は、ベイエリアや元町を歩きまわり、駅近くの函館国際ホテルに泊まった。 

海が目の前にあり、僕らが住む町より雪も多いのだが、まったく寒さを感じない! 

函館はディズニーシーのように、まるでどこかの… 

そうヨーロッパの小さな港町のような街並み、どこか懐かしい雰囲気と時間がゆっくりと流れているような、そんな感じがした。

 

次の日、ホテルでバイキングの朝食を食べたが、どれも美味しくお腹が一杯になった。

でも、せっかくだからと早めにホテルをチエックアウトして函館朝市に行った。 

時間的にも遅いし、シーズンオフという事もあり、その時間に営業している店は半分ほど。

足早に通り過ぎようとしたら、店から出てきたお兄さんに声を掛けられた! 

「どっから来た?」 

「〇〇です」 

「そうか、仲間だな!」

「えっ?」 

「同じく漁港がある町だもの、仲間だべ。海はつながってるはんで」 

「おらだぢ、昔〇〇の人に世話になってよ。災害の時に、なんぼが助けられたんだが…」 

「はぁ、すみませんその災害はよく覚えていなくて…」 

「いいのよ、いいのよ、おらだぢが覚えていればそれでいいのだすけ」 

「あっ、ありがとうございます」 

「まだ、時間あるのが?帰り、何時だ?」 

「午後の3時の列車です」 

「よし、飯食ってげ、今イカ刺し作るがら…」 

「いえ、さっきホテルでご飯を食べましたから」 

「ホテルより、こっちの方がうめーじゃ」 

と、お兄さんはいそいそと丼にご飯を盛り、ウニやイクラをてんこ盛りにした。 

とれたての朝イカだという透き通ったイカ刺しまで出してくれた。 

そして、「味噌汁が無くてすまんな」とペットボトルのお茶を出してくれた。

 

さっきホテルの朝食を食べたばかりだと言うのに、あまりの美味しさに二人で完食したら、お兄さんは喜んで、その後にまた食え食えと、カニや夕張メロンまで出してくれた。 

食堂ではないお店の小さな長テーブルで、がっつく僕らの傍を観光客が不思議そうに眺めながら通り過ぎていく。 

幾ばくかの金を置くより何か買って帰ろうと2人で相談して、カニと夕張メロンを買いますと言うと、お兄さんは怒り出し… 

「そんなつもりはねぇ!他の店ならいざしらず、ウチは試食させて何かを買わせるような真似はしねぇ。ずっとまっとーな商売をしてきた。あんだだぢは、同じ仲間だと言ったべ、そう思ったから声をかけた。見ろ、他の観光客に声をかけていねぇ。それに店はもう終わってる。」 

僕らは、食事のお礼を言い、立ち去ろうとすると… 

「昼飯はどうする?」 

と、聞かれ、せっかく函館に来たから塩ラーメンを食べに〇〇〇という店に行きますと答えた。 

すると…

「あの店は、確かに美味いけど観光客向けだ。本当に美味しい函館ラーメンを食わしてやるから、14時に店の前に来てくれ」と言われた。 


その後、僕らは駅周辺を散策して再び朝市へと向かって、朝ご飯をごちそうになった手前、断ることも出来ず再び14時に店に戻ると、お兄さんが待っていた。 

「こっちに来い!」と、店の脇をどんどん進み、朝市から少し離れた小さな店に連れて行ってくれた。 

朝市の関係者らしい人や漁師さんたちが、みんなラーメンを食べ終わりくつろいでいた。 

「ここさ座れ」とカウンターの奥に座らされると、お兄さんはカウンター越しに話をして店内の人にも何やら説明をしていた。

「また函館に来たら店に寄れ!」

と言って、お兄さんは僕らを置いて出て行ってしまった。 

やがて、熱々のラーメンが2つ出てきて、真ん中にはバターが乗っていた。 

「これが、函館の塩ラーメンだ!トラピストバターがよく合うんだ」 

確かに、うまかった。 

透き通ったスープ、中太のちぢれ麺、そしてバター。 

初めて食べる味だった。 

夢中で、ラーメンを食べスープも残さずに飲み干し、お会計して下さいと言うと… 

「話は聞いた。そんなもの、いつでも食わしてやる。函館に来たら、ぜひこっちにも寄ってくれ!」 

と店の人に言われた。 

「そんなー!」と絶句すると、一緒にいた店内の人たちからも…

「また函館に来い!」 

「今度は、おら達が別な物食わしてやる!」

と口々に言われた。


そして、僕らはこの函館の思い出を胸に2ヶ月後の4月に結婚をした。 

結婚の報告に、あのお兄さんの店に行くと残念ながら、そのお兄さんのお店は翌年には無くなっていた。

連れて行ってもらったラーメン屋さんも、無くなっていた。

しかし、僕らはどこかであのお兄さんに会えると信じて、東日本大震災の翌年まで、毎年のように函館に行った。 

多い年は、年に3回も行ったことがあったが、あのお兄さんとは再会できなかった。

朝市の人に聞くと、お兄さんの店も裏通りのラーメン屋さんも、朝市や駅周辺の再開発の影響で立ち退きを余儀なくされたらしい。


夢のような、ホントの話。 

お兄さんやラーメン店の人たちの温かい人情のおかげで、僕らは函館をより好きになり“第二のふるさと”と呼んだ。

いつか、函館に住むことを夢みた。

東日本大震災では、函館朝市も津波の被害を受けた!

しかし、僕らの町へは函館の漁業関係者から数十隻の漁船が寄贈された。

函館の漁船も津波で流されているのにだ!。

かつての十勝沖地震で、函館に同じ様に漁船の寄贈や義援金があったからだという。

 

東日本大震災以降、僕らは函館には行っていないのだが、あのお兄さんが今も元気に過ごしていると信じている。

僕は、コロナのせいで高齢者施設という仕事柄、県外へ出掛けることを禁じられている…

コロナが落ち着いたら、僕らは真っ先に函館に行きたいと思う!

僕は、このお兄さんやラーメン店の人たち、震災への寄付をしてくれた函館の人たちへの感謝を忘れないために、函館ストーリーを書いている。

せめてもの、僕からの恩返しなのだ。