ご家族やお知り合いの方で、亡くなられた方がいらっしゃる皆さまへ…

この物語が少しでもご供養になりますことを願いますとともに、ご冥福をお祈りいたします。

 

はじめに…

この物語は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにした創作物語です。

先に、「銀河鉄道の夜」のあらすじを書き示します、まだ未読の方は大まかな物語の流れを感じ取ってください。

《貧しい家庭で生まれ育ったジョバンニはアルバイトに追われて、学校の勉強に集中できず、同級生ともなじめませんでした。みんなが地元のお祭りを楽しんでいる時も、ひとりだけ黙々と働いています。ようやく仕事が終わってみんなの後を追いかけますが、同級生にイジメられたジョバンニは一人ぼっちで小高い丘に行きます。すると目の前に銀河鉄道が現れ、唯一の友人であるカムパネルラと不思議な銀河の旅をするのでした…》

 

それでは、「私家版銀河鉄道の夜」の始まりです!

 

第一章・星祭り 

今日は、七夕で星祭りの日だ。

星祭りでは夕方になると近くの川に灯籠の代わりに烏瓜を流すのだが、昔からお盆とは別な意味でこれも大切な先祖供養なのだという。

 

そんな星祭りの日に、本家では家の改築工事を前にした大掃除があって親戚がたくさん集まっており、私はお母さんとお姉さんと3人で来ていた。

そんな中、私は片隅にある古い土蔵の整理を手伝わされた。

一度も会った事がない、お爺さんのそのまたお爺さんの土蔵だという。

ガラクタの方がマシともいえる、昔の品々が埃というか昔の匂いと共にそこにあった。

「その中で、欲しい物をあげる!」

と言われたが、私のような女子高生には骨董なんて興味がない。

でも、一つだけ綺麗な漆塗りの箱があった。

私は、その箱がどうしても気になってしまい、結局はその箱を貰った。

夕方、姉と一緒に近所の川へ烏瓜を流しに行くと、小さな子供たちが集まっていて星めぐりの歌を、唄っていた。

私は、土蔵の持ち主であったお爺さんの為に烏瓜を流し、手を合わせた…

「お爺ちゃん、土蔵にあった綺麗な漆塗りの箱、貰ったからね…」

すると突然、近くで男の子の声が聞こえた。

《ケンタウルス露をふらせ!》

ビックリして、顔を上げたけど男の子の姿は見えず、夜空には美しい天の川が輝いていた。

でも、お姉ちゃんには何も聞こえなかったようで、星めぐりの歌を口ずさんでいる。

どうやら私の気のせいだったようで、流れる烏瓜を見えなくなるまで目で追った。

 

家に帰り、土蔵で見つけた漆塗りの箱を開けて見ると、文鎮らしき物と一緒にかなり古い原稿用紙が入っている。

「何て、書いてあるの?」

原稿用紙は、黄ばんでよく見えないし、字は旧仮名づかいで読みづらい…

「何これ?ぜんぜん読めない」

と、床に原稿用紙を放り出そうとしたら、どっかで見たような文字だと気が付いた。

「えっ?カムパネルラ、ジョバンニ…」

もう一度、よく見てみると、やはりカムパネルラやジョバンニの文字がある。

「やっぱりそうだ、これは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ!」

よく見ると、筆跡に特徴がある。

宮沢賢治記念館で見た、賢治の直筆に似ている。

 

私は、注意深くその原稿用紙を読んでみた。

正直、上手いとは言えない字をどうにか目で追うと…

どうやら、ジョバンニの切符の章の原稿のようだ?

「間違いない、これは宮沢賢治の直筆よね?でも、何で原稿があるの?」

思わず大きな声が出てしまい、私は自分の声に驚いた。

 

第二章・銀河ステーション

 《その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云えず、にぎやかなさまざまの音や草花の匂のようなもの、口笛や人々のざわざわ云う声やらを聞きました。

それはもうじき、ちかくに町か何かがあって、そこにお祭でもあるというような気がするのでした。

「ケンタウル露をふらせ。」

いきなりいままで睡っていたジョバンニのとなりの男の子が、向うの窓を見ながら叫んでいました。

ああそこにはクリスマストリイのように、まっ青な唐檜かもみの木がたって、その中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の蛍でも集ったようについていました。

「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」

「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」

カムパネルラがすぐ云いました。

-----[以下原稿1枚(?)無し]-----

「ボール投げなら僕、決してはずさない。」》

 

発行されている『銀河鉄道の夜 (最終型) 』の本は、このようになっていた。

カンパネルラがジョバンニに「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」と話しかけた後のストーリーについては、原稿が1枚ないし数枚が消失しているのだ。

「えっ、ウソ?」

と、いうことは…

「これは、欠けている『銀河鉄道の夜』の原稿?」

そして…

「この文鎮のような物には、何か重大な秘密があるの?」

私は原稿を置き、その文鎮のような物を手に取り、ズシリとした重みを感じとった。

 

「キャー!」

突然、部屋が真っ暗になり何も聞こえなくなった。

しばらくすると、霧が晴れるように目の前が明るくなり、やがて汽笛の音が聞こえた。

「ここは、どこ?」

《銀河ステーション!銀河ステーション!》

何やら、アナウンスがこだましている。

「エッ!銀河ステーション?銀河鉄道は、本当にあったの?」

驚く間もなく私は、一人で銀河ステーションに立っていた。

そこには、昔のSLという汽車が停まっていた、かなり大きい。

煙突からは煙が出ていて、蒸気のような白いものが、大きな音と共に下から出ていた。

実物は初めて見るが、TVで見た事がある蒸気機関車が、私の目の前にある。

「ここが、あの銀河ステーション?これが、あの銀河鉄道?」

周りを見わたすと、何やら塔のような物が建っている。

「わかった!ここは天気輪の柱がある丘ね」

そして、私は銀河鉄道に乗り込んだ。

そう、ジョバンニのように…。

 

第三章・銀河鉄道

 

汽車は、またたく間に宇宙へと走って行った。

広大な暗闇に、たくさんの星が輝いている。

「まるで、降るような星。こんなに、たくさんの星…」

私は、汽車の窓に顔をつけ、いつまでも星空を眺めていた。

「つむぎ、よく来たね…」

突然、名前を呼ばれ私は振り向いた。

「えっ、誰?もしかして、お爺ちゃん?」

「そうだよ、私はお前のお爺ちゃんだよ!」

「お爺ちゃん、この汽車はどこに向っているの?」

「ケンタウルの村だよ、つむぎ」

「ケンタウルの村?やっぱり、この汽車は銀河鉄道なのね?」

「つむぎ、そうだよ!そして今夜はケンタウル祭なんだよ」

「ねぇ、お爺ちゃん。私がお爺ちゃんの蔵で見つけた、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の原稿は、とても重要な事が書かれているんでしょう?」

「もちろんだよ!だからこうして、つむぎが銀河鉄道に乗っているのだよ」

「教えて、お爺ちゃん!」

「お前たちが星祭りの日に、川に烏瓜を流すだろう。それは、死者の霊や魂を弔っているのだよ。そして“ケンタウルス露をふらせ”と言うのは、五穀豊穣の祈願でもあるのだ。現世の人々の幸せを願いつつ、死者となった過去の人の魂を弔う。これが星祭りの意味であり、天上ではケンタウル祭と言うのだよ。」

 

つむぎは、何とも言えず悲しくなって銀河鉄道の窓から外を眺めた。

「ほら見てお爺ちゃん!地球が、あんなに小さく見えるよ。あの光の筋は何?ほら、地球から出ている、あれは何?」

「あれは、亡くなった人の魂だよ。そして、この銀河鉄道に導かれケンタウルスに到達する。つまり、オメガ星雲にあるケンタウルス座は、天上でもある南十字座の手前に位置し現世で魂となった者たちは、ここで天上へと導かれるのを待っているのだ」

つむぎは、お爺さんが言った言葉と『銀河鉄道の夜』の消失した原稿に書かれていたものが同じである事を思い出した…。

 

「つむぎ、もう帰りなさい。お母さんとお姉さんが心配している」

「いや、私はお爺ちゃんと、どこまでも行くわ」

「つむぎ、お聞き。お前は、素晴らしく偉大なことをやったのだ!ごらん天の川を、一つ一つが光っているだろう?あの光は、行く当てもなく彷徨って、淋しさに苦しみ、銀河の果てで溺れた人々の魂なのだよ」

「お爺ちゃん!だから、天の川はお盆に光輝くの?」

「そうだよ、つむぎ。そういう人々を地球から天上界へと導くのが、この銀河鉄道なんだよ。この列車は未完成でしかも不安定極まりない代物だった。つむぎがこの銀河鉄道を再び、蘇らせてくれたのだよ。お前が見つけてくれた、このスロットルバーのおかげでな…」

「これ、文鎮じゃないのね?銀河鉄道を動かす物なのね?」

「そうだよ、幻想第四次の銀河鉄道を動かす為の大切な物なのだよ」

「お爺ちゃんと一緒に、私は行けないんだね。つむぎは、ジョバンニのようにお家へ戻らなきゃいけないよね…」

ふと気がつくと、つむぎは自分のベットに寝ていた。

漆塗りの箱の中には、原稿用紙も銀河鉄道のスロットルバーもなかった。

ただ、烏瓜が一つ入っていたのだった。

 

翌日、つむぎは一人で川へ行き烏瓜を流しながら、天の川を見上げた。

「お爺ちゃん、私きっと、まっすぐに進みます。きっと、本当の幸福を求めます」

それに答えるように、天の川は輝き一筋の流れ星が、夜空を横切った。

それを見たつむぎは、星めぐりの歌を唄いながら家へと向かった。

 

 [END]

  

私家版銀河鉄道の夜は、お楽しみいただけましたか?

宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」には、1枚~数枚の原稿が紛失しています。

元は未完の作品であり紛失部分の原稿をモチーフに、物語を書いてみたのでタイトルは「私家版銀河鉄道の夜」なのです。

 

死を間近にした宮沢賢治は何度も何度も、「銀河鉄道の夜」の原稿を削除したり書き直したりを繰り返し、未完のまま天国へと旅立ちました。

この作品で宮沢賢治が伝えたかったことは、カムパネルラのセリフにある「ほんとうのさいわい」だと言われています。

これは「自己犠牲(自分の身を犠牲にしても他者に尽くすこと)」を表しおり、ジョバンニは目が覚めるとカムパネルラが自らを犠牲に同級生のザネリを助けたことを知ります。

宮沢賢治は、銀河鉄道の中で出会った女の子(かおる子)が語るサソリの火の物語から、ジョパンニに《自分の身を犠牲にしても他者に尽くすことが、本当の幸福なのだ》と結論を出させます。

また、「グスコーブドリの伝記」では、ブドリが自らの命を犠牲にして火山を爆発させ村の飢饉を救いますが、当時の宮沢賢治の思想は自分を犠牲にしても、みんなの幸せが大切」という考え方だったのかもしれません。

 

しかし…

宮沢賢治は、「農民芸術概論綱要」という著作の中でこのように言っています。

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」

晩年の賢治の考える幸せというものは、全体の幸福に根差したもの、だったのではないでしょうか?

何の犠牲もない全体の幸福。

これこそ、「ほんとうのさいわい」ではないでしょうか。

 

人は死んで、それからどこへ行くのか?

「わたくしという現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い証明です」(春と修羅)

賢治の言うように、肉体と言う電燈は、失われても、その魂という“ひかり”は保ち続けられる。

そう、人間の魂という“青い証明のひかり”は、やがて天上へと向かうのです。

 

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、その難解なところから数多くの解説がネットや書籍にて見ることができます。

私が、最初に原作を読んだのは中学生の時でしたが直ぐに挫折し、大人になり漫画版にてようやく理解しました。

また、映画や映像でも作品を知ることができます。

「銀河鉄道の夜」は正直言って、子供のころに触れるのと大人になり触れるのでは、解釈が変わります。

どうぞ、この私が書いた拙い物語から少しでも興味を持たれたなら、原作の「銀河鉄道の夜」をご覧ください!

映画でも漫画でも、ご自分の入りやすいものから触れることをお勧めします。

 

ここまで、読んでくださった皆さまに感謝の言葉を伝えるとともに、冒頭に書いたようにご自身の大切な方で亡くなられた方がいらっしゃるなら、この物語がわずかでもご供養になることを願っております。

※主人公「つむぎ」の名前や内容の監修は、ぴいなつちゃんにお願いしました。