このたびの「令和8年熊本地震」により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

このたび「私家版銀河鉄道の夜」を再構成しました。
私の拙い物語が少しでも心の安らぎとなればと思います。

私家版・銀河鉄道の夜

「──星祭りの夜に、あなたへ届ける祈り──」



冒頭の祈り

熊本地震において、ご家族やお知り合いの方で亡くなられた皆さまへ──
この物語が少しでもご供養になりますことを願い、ご冥福をお祈りいたします。


はじめに(原作のあらすじ)

この物語は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』をモチーフにした創作物語です。
未読の方のために、原作の大まかな流れを記します。

《貧しい家庭で育ったジョバンニは、アルバイトに追われて学校にもなじめず、同級生からも孤立していた。お祭りの日もひとり働き、丘に登ったとき、突然銀河鉄道が現れ、唯一の友人カムパネルラと不思議な旅へ出る──》

それでは、「私家版銀河鉄道の夜」の始まりです。


第一章・星祭り

今日は七夕、星祭りの日。

夕方になると、川に灯籠の代わりに烏瓜を流す。
お盆とは別に、古くからの先祖供養の風習だ。

本家では改築前の大掃除があり、親戚が集まっていた。
私は母と姉とともに訪れ、古い土蔵の整理を手伝うことになった。

その土蔵は、一度も会ったことのない「お爺さんのそのまたお爺さん」のもの。
埃と古い匂いに満ちた品々が積み重なっていた。

「欲しいものがあれば持っていきなさい」

そう言われても、女子高生の私には骨董品に興味はない。
ただ、一つだけ──
漆塗りの箱が目に留まった。

どうしても気になり、私はその箱を貰った。

夕方、姉と川へ烏瓜を流しに行くと、 子どもたちが星めぐりの歌を唄っていた。

私は烏瓜を流し、土蔵の主だったお爺さんに手を合わせた。

「お爺ちゃん、漆塗りの箱、貰ったからね…」

その瞬間、近くで男の子の声がした。

《ケンタウルス露をふらせ!》

驚いて周囲を見たが、誰もいない。
夜空には天の川が輝いていた。

姉には何も聞こえていないようで、歌を口ずさんでいる。

気のせいだと思いながら、烏瓜を見えなくなるまで目で追った。

家に戻り箱を開けると、文鎮のような物と古い原稿用紙が入っていた。
旧仮名づかいで読みづらいが──

「カムパネルラ…ジョバンニ…?」

見覚えのある名前に息を呑む。

「これ、『銀河鉄道の夜』の原稿じゃない?」

筆跡は、宮沢賢治記念館で見た直筆に似ていた。

私は震える指で原稿を読み始めた。


画像
「銀河鉄道の夜」宮澤賢治

第二章・銀河ステーション

原稿には、こう書かれていた。

《その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云えず、にぎやかなさまざまの音や草花の匂のようなもの、口笛や人々のざわざわ云う声やらを聞きました。

それはもうじき、ちかくに町か何かがあって、そこにお祭でもあるというような気がするのでした。

「ケンタウル露をふらせ。」

いきなりいままで睡っていたジョバンニのとなりの男の子が、向うの窓を見ながら叫んでいました。

ああそこにはクリスマストリイのように、まっ青な唐檜かもみの木がたって、その中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の蛍でも集ったようについていました。

「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」

「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」

カムパネルラがすぐ云いました。

-----[以下原稿1枚(?)無し]-----

「ボール投げなら僕、決してはずさない。」》

発行されている『銀河鉄道の夜(最終型)』では、 この部分の原稿が欠落している。

「これ…欠けている原稿そのもの?」

文鎮のような物を手に取ると、ずしりと重い。

その瞬間──

「キャー!」

部屋が真っ暗になり、霧が晴れるように視界が開けた。

汽笛が響く。

《銀河ステーション!銀河ステーション!》

私は銀河ステーションに立っていた。

蒸気機関車が煙を吐き、天気輪の柱が丘に立っている。

「ここが…銀河鉄道?」

私は汽車に乗り込んだ。 ジョバンニのように──。


第三章・銀河鉄道

汽車は宇宙へ走り出した。

星が降るように輝いている。

「つむぎ、よく来たね…」

振り向くと、お爺ちゃんがいた。

「この汽車はケンタウルの村へ向かっているんだよ。 今夜はケンタウル祭なんだ。」

「原稿に書かれていた秘密は何?」

お爺ちゃんは静かに語り始めた。

星祭りの日に烏瓜を流すのは、 死者の魂を弔うため。

《ケンタウルス露をふらせ》は五穀豊穣の祈り。

現世の幸せと、過去の魂の慰め──
それが星祭りであり、天上ではケンタウル祭となる。

「ほら見てごらん、つむぎ。 あれは亡くなった人の魂だよ。」

地球から光の筋が伸びていた。

「魂は銀河鉄道に導かれ、ケンタウルス座へ向かう。 天上へ導かれるのを待っているのだ。」

つむぎは涙をこらえながら星を見つめた。

「つむぎ、もう帰りなさい。 お母さんとお姉さんが心配している。」

「いやだ、お爺ちゃんと行く!」

「つむぎ、お前は偉大なことをした。 この銀河鉄道は未完成で不安定だった。 お前が見つけた“スロットルバー”のおかげで蘇ったのだ。」

「文鎮じゃなかったんだ…」

「そうだよ。幻想第四次の銀河鉄道を動かす大切な物だ。」

気づくと、つむぎは自分のベッドにいた。

箱の中には原稿もスロットルバーもなく、 烏瓜が一つだけ入っていた。

翌日、つむぎは川へ烏瓜を流しながら天の川を見上げた。

「お爺ちゃん、私きっとまっすぐ進みます。 本当の幸福を求めます。」

天の川が輝き、流れ星が夜空を横切った。

つむぎは星めぐりの歌を唄いながら家へ帰った。

END


説明文(作品理解のために)

私家版銀河鉄道の夜は、お楽しみいただけましたか?

宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』には、1枚〜数枚の原稿が紛失しています。
元は未完の作品であり、その紛失部分の原稿をモチーフに物語を書いてみたので、 タイトルは「私家版銀河鉄道の夜」なのです。

死を間近にした宮沢賢治は、何度も何度も『銀河鉄道の夜』の原稿を削除したり、 書き直したりを繰り返し、未完のまま天国へと旅立ちました。

この作品で宮沢賢治が伝えたかったことは、 カムパネルラのセリフにある「ほんとうのさいわい」だと言われています。

これは「自己犠牲(自分の身を犠牲にしても他者に尽くすこと)」を表しており、 ジョバンニは目が覚めると、カムパネルラが自らを犠牲にして 同級生のザネリを助けたことを知ります。

宮沢賢治は、銀河鉄道の中で出会った女の子(かおる子)が語る “サソリの火の物語”から、ジョバンニに 《自分の身を犠牲にしても他者に尽くすことが、本当の幸福なのだ》 と結論を出させます。

また『グスコーブドリの伝記』では、 ブドリが自らの命を犠牲にして火山を爆発させ、村の飢饉を救います。 当時の宮沢賢治の思想は 「自分を犠牲にしても、みんなの幸せが大切」 という考え方だったのかもしれません。

しかし──

宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』の中で、このように言っています。

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」

晩年の賢治が考える幸せとは、 “全体の幸福に根ざしたもの”だったのではないでしょうか。

何の犠牲もない全体の幸福。 これこそが「ほんとうのさいわい」なのかもしれません。

人は死んで、それからどこへ行くのか?

宮沢賢治は『春と修羅』でこう書いています。

「わたくしという現象は  仮定された有機交流電燈の  ひとつの青い証明です」

賢治の言うように、肉体という“電燈”は失われても、 魂という“ひかり”は保ち続けられる。 

そう、人間の魂という“青い証明のひかり”は、 やがて天上へと向かうのです。

『銀河鉄道の夜』は、その難解さゆえに 数多くの解説がネットや書籍で見ることができます。

私が最初に原作を読んだのは中学生の時でしたが、すぐに挫折し、 大人になって漫画版でようやく理解しました。

 映画や映像でも作品を知ることができます。

『銀河鉄道の夜』は、 子供のころに触れるのと大人になって触れるのでは、 解釈がまったく変わります。

どうぞ、この私が書いた拙い物語から少しでも興味を持たれたなら、 原作の『銀河鉄道の夜』をご覧ください。
映画でも漫画でも、ご自分の入りやすいものから触れることをお勧めします。

ここまで読んでくださった皆さまに感謝するとともに、 冒頭に書いたように、 ご自身の大切な方で亡くなられた方がいらっしゃるなら、 この物語がわずかでもご供養になることを願っております。


あとがき

この物語は、 宮沢賢治の未完の名作『銀河鉄道の夜』の欠落原稿をモチーフに、 作者が独自の解釈で紡いだ“私家版”です。

賢治が生涯追い求めた「ほんとうのさいわい」。
それは自己犠牲ではなく、 「世界ぜんたいの幸福」を願う心だったのかもしれません。

熊本地震で大切な方を亡くされた皆さまへ──
この物語が、ほんのわずかでも 心の慰めとなりますように。